自然

暇だから暦について考えた

平成201230

  毎朝起床すると、壁に貼った暦を見て訪れたこのこの日を確認する。新しい1日のスタートには、期待感のようなものが漂っている。少なくとも今日は、一度に多くのことを考えずに、ひとつひとつの物事を確実に進めて行きたいと願った。

  日本に現存する最古の暦は、正倉院に保管されている天平18年(746年)のものと聞いた。行ったことはないが、正倉院とは奈良の東大寺大仏殿の北西にある高床の校倉造倉庫で、第二次大戦以後は宮内庁正倉院事務所が管理しているという。この正倉院内部には、天皇家先祖伝来の私物である宝物が保管されているらしい。

正倉院保管の宝物の中には、聖武天皇(第45代天皇701~756)の遺品の数々を光明皇后が東大寺大仏に奉献した品目の中に暦があるといわれている。それが現存する最古の暦ということになっているが、由緒ある家系の土蔵の奥から埃まみれの暦のようなものが発見された場合や、北国の古墳発掘現場からの出土品の中に暦らしい木簡が混じっている度に、その古さが書き改められるかもしれない。

律令制(リツリョウセイ=王を頂点とする中央集権的統治制度)がしかれて以来の日本では、17世紀末まで中国の暦法をそのまま使用している。農耕社会の生活には、春夏秋冬のメリハリある季節のめぐる1年という周期が大きく影響を及ぼすので、中国と日本とでの自然風土の違いから微妙なずれが生じる。

古代イジプトでは一定の時期にナイル川が氾濫した。河川の氾濫は、農耕地帯の作物の滋養となる肥沃な土を運びこむ。人々は一年の周期を、氾濫季、種蒔き季、収穫季と分けていたので、氾濫の季節を事前に知ることが生活のための重要な課題であった。

イジプト人は、天空で一番明るい恒星[シリウス(大犬座のアルファ星の1.5等星)]の観測から1年の長さが365.25日であることを知り、紀元前238年には1年を365日、4年ごとに366日の閏年を作ることを決めた。 後にイジプトを征服したジュリアス・シーザーは、この暦の優秀さに感服して長所を従来のローマ暦に取り入れた。これが紀元前45年のユリウス(英語読ジュリアス)暦である。

ユリウス暦は一年を365日とし、4年ごとに366日の年を作る現時点の暦と同じであるが、この暦の平均年間時間が365.25日となり、実際の1年の365.2422日とのずれが生じていた。むずかしいことは理解できないが、グレゴリウス13世(ローマ法王)在位時の1582年に、その蓄積されたずれが12日にもなってしまった。そこで、10日分を飛ばして、かつ閏年の設定を再考したのが現在の世界各国共通の[グレゴリオ暦]である。この暦での1年の長さは365.2425日となるが、約3000年に1日の誤差が出るだけである。この程度の誤差なら、人間の一生にはさほど影響がないからか、それ以後には新しい暦の発明はない。待ち合わせ時間の前後30分以内と約束する私に至っては、このような微弱な誤差に左右されることはまずない。

暦には1月から12月まであるが、英語圏では数字で呼ばず言葉を当てる。また日本でも数字ではなく言葉を当てて表現し、それらを盛り込んだ短歌や俳句をひねり出しては悦に入っている人間も多い。このような表現は、暗誦力の劣る人間に取り混乱を招くだけだが、現実に存在するものをいまさら否定する必要もない。

[1年間の12ケ月それぞれの呼び名]

[1]―(英語圏)  January(ジャニュアリー)

  ローマ神[ヤーヌス]にちなむ命名で、この神はものごとの初めを司り、出入口の守護神で未来と過去、外と内を見る二つの顔を持つ神である。その像はローマコインに彫られたり、家の入口扉に飾られたりする。

       (日本)  睦月(むつき)

正月は知人が互いに行き来して親交を深めるために寄り集まり、穏やかに語り合うことから命名で、嫁に行った娘が旦那と子供を引きつれ4日間実家に寝泊りし、帰るときには冷蔵庫のなかの物を根こそぎ持ち帰ることが許される平穏な月。

[2]―(英語圏) February(フェブラリー)

  ローマ神[ファブルウス]にちなむ命名で、この神はもともとは牧神であったが、後にギリシャ神話の[プルトン]に相当する死の世界の王とみられた。

       (日本)  如月(きさらぎ)

  草木が芽をだす月で、木草(キクサハリツキ)から来たとの説あり。

[3]―(英語圏)  March(マーチ)

  厳しい冬季の後の農事と軍事の再開期に当たることから、ローマ神話の軍神[マルス]の名を当てはめた。

        (日本)  弥生(やよい)

  草木の生い茂る月だから弥生という。

[4]―(英語圏)  April(エープリル)

  ローマ神話の美の女神[ウェヌス(英名ヴィーナス=ギリシア神話アプロディテ)]のラテン名ウェヌス[アプリリス]からの命名で、ラテン語のアベリレ(草木の花が開く)の意味を持つ。

       (日本)  卯月(うずき)

卯の花が咲く月により卯月。

[5]―(英語圏)  May(メイ)

  ローマ神話の豊饒を司る女神マイアのラテン名[マイウス]からの命名で、その意味の[のびる]から草木がのびる月に当てはめられた。

       (日本) 皐月(さつき)

田植えを[]というから佐月。早苗の月からのさつきとの、諸説あり。

[6]―(英語圏)  June(ジューン)

  ローマ神話の雷神[ユピテル]の妻で女神の[ユノ(英名Juno ジュノー)]の名にちなむ。ユノはギリシア神話のヘラと同一視され、家庭の神される。6月の花嫁(ジューン・ブライド)は、他の11の月に結婚した花嫁と同じく、家庭を護りさえするば幸せになれる。

       (日本)  水無月(みなずき)

梅雨が終わり、水が枯れるからの水無月。

[7]―(英語圏)  Julius(ジュライ)

  ラテン名[ユリウス]からの命名で、紀元前46年ローマ暦を改良した当時はクィンティリス(第5番目の月の意味)だったが、その後のローマ独裁者のユリウス・カエサル(英名ジュリアス・シーザー)が天文学者を集め正確な暦(ユリウス暦)を作った。7月生れのユリウス・カエサルは7月に自分の名を冠し、ユリウス(ジュリアスのラテン読みジュライ)とした。

       (日本)  文月(ふずき)

たなばたに願い事を託して、紙に文章を書く風習から。できるだけ多くの願い事を書けば、どれか一つぐらいは叶えられる。

[8]―(英語圏)  August(オーガスタ)

  ラテン名[アウグストゥス(英読オーガスタ)]は暗殺された独裁者シーザーの養子で、シーザーの後を受け紀元前8年の第一代ローマ皇帝となった。彼は8月に大勝した戦争を記念して自分の名[アウグストゥス(英語読オーガスタ)]とし、本来8月は30日だったものを、親父の月7月と同じ日数の31日にした。で、飛び飛びだった31日の月が2つ連なってしまった。

       (日本)  葉月(はつき)

木の葉が紅葉して落ちるので葉月。

[9] (英語圏)  September(セプテンバー)

  ラテン語の[septem=第七の]に由来している。ずうっと昔は現在の3月を一年の始めとしいたが、紀元前153年に、年の初めを1月の時期に2ヶ月繰り上げた。にもかかわらず、呼び名はそのままだった。したがって、9~12月には7月~10月のラテン名が当てはめられた。

       (日本)  長月(ながつき)

秋の夜長だから長月。

[10]―(英語圏)  October(オクトーバー)

  ラテン語[octo=8]に由来し、9月の説明のごとく、2ヶ月のずれがある。

       (日本)神無月(かみなずき)

世界の八百万の神が、出雲で開かれる来年度予算案会議に集うために、各地元には神がいない月。

[11]―(英語圏)  November(ノベンバー)

        (日本)  霜月(しもつき)

霜が降る月。

[12]―(英語圏)  December(デェセンバー)

         (日本)  師走(しはす)

僧を迎えて経を読ます月で、「師(坊さん)が家々を忙しく走りまわる」からの師走。その目的は御布施にある。

[1週間の曜日の呼び名]

これがないと、いつ休日の前日なのかがわからないので困る。

1週間のそれぞれの曜日は、「7つの星を並べた一日の時間割から発展して決められた」との、紀元前2世紀当時のギリシャ歴史家カシウスの説が有力である。勿論、面倒な計算は付いて廻るが、知らないほうが身のためである。

わが国で曜日が記録に残されている書物に[御堂関白記]がある。この、平安時代貴族藤原道長が長徳4年(998年)から治安元年(1021年)までを日記形式で記述した中に記録されている曜日は、現在までたどっても寸分の狂いの無いものである。彼は、紫式部や和泉式部の女流文学者の庇護者でもあり、紫式部が書いた源氏物語の光源氏のモデルだとの噂もある。ということは、大勢の女性をやきもきさせたに違いないとにらむ。

[日曜日] Sunday(サンデー)

ラテン語の[ディエス・ソリス=太陽の日]に相当し、各国共に同じ意味で呼んでいるようだ。今の土曜日はユダヤ教の安息日で、その次の日にキリストが復活したことから日曜日がキリスト教の聖日となっている。日曜日に教会へ出向き牧師の話を聞く風習は、外国映画などに数多くみられる場面である。

[月曜日] Monday(マンデー)

ラテン名[ディエス・ルナニ=月の日]で、各国これに相応する名で呼んでいる。

[火曜日] Tuesday(チューズデー)

ラテン語では軍神[マルス=火星]で、赤々とした血の色により軍神の名とされた。しかし、ゲルマン諸国(北欧等)では自国神話の軍神[ティウ]の日とし、それが語源でこの名となる。

[水曜日] Wednesday(ウェンズデー)

ラテン名は神々の伝令神[ディエス・ヨーウィス=マーキュリー]で、太陽に一番近い惑星が地球と太陽の間を忙しく駆け回っているための命名らしい。しかし、ゲルマン諸国ではゲルマン神話の主神[オーディン]の日としている。この英語読みがウェンズデーである。

[木曜日] Thursday(サーズデー)

ラテン名は[ディエス・ヨーウィス]。銀色に輝きながら12年で黄道を一周する様から、ラテン系諸国ではオリンポスの主神「ゼウス」に相当するローマ神話の主神[ユーピテル(英名ジュピター)]の名で呼ばれている。ゲルマン系諸国ではゲルマン神話の神[トール]の日]され、これの英語読みでサーズデーとなる。

[金曜日] Friday(フライデー)

ラテン名[ディエス・ウェネリス]で、美の女神[ウェヌス(英名ヴィーナス)]からきている。ゲルマン系の諸国では、ゲルマン神話の主神[オーデェン]の妻で愛の女神[フリッグ]の名がつけられ、その英語読みでフライデーとなる。

[土曜日] Saturday(サタデー)

ラテン名[ディエス・サトゥルニ]で、淡黄色で黄道を一周するのに30年もかかることから農業神である老神[サトゥルヌス]の名がつけられた。

[六曜]について

[六曜]とは、暦の日数の横に友引とか大安とか書かれているが、古く中国で考案された迷信の類である。中国では数百年前に廃止されたが、明治以後に日本の暦に蘇った。

六曜は、以下の順序で旧暦のそれぞれの1日に割り当てられる。これは、正月と7月の1日には先勝が来る。そして、2月と8月の1日には友引がくることになる。各月ともそこから始まり以下の六曜順に進行する。従って、旧暦の月の変わり目は六曜の順序が乱れる。

[先勝(せんかち=せんしょう)]

朝より昼間までは良く、昼過ぎから日暮れまで悪い。

[友引(ともびき=ゆういん)]

なかばよし、うまの時わるし。葬儀出すべからず。

[先負(せんまけ=せんぷ)]

朝より昼間までは悪く、昼過ぎから日暮れまで良し。

[仏滅(ぶつめつ)]

  大悪の日で、なにごとも良いところ無し。

[大安(だいあん=たいあん)]

大吉で、すべて良し。

[赤口(じゃくこう)]

悪日で、すべてのことにろくなこと無し。特に、うまの時には何もやらないほうが良い。

[十干(じっかん)]について

十干(じっかん)とは、暦の日数の横に[きのと]とか[みずのえ]と書かれているのがそうである。

1-甲(こう)

2-乙(おつ)

3-丙(へい)

4-丁(てい)

5-戊(ぼ)

6-己(き)

7-庚(こう)

8-辛(しん)

9-壬(じん)

10-癸(き)

の、数を表す言葉であるが、古代中国ではこの十干と十二支を組み合わせて暦の日を表した。

古代中国の殷(イン)時代には十個の太陽があり毎日交代で姿を見せ、十日で一回りすると考えられていた。十干はそれぞれに太陽に付けられた名前である。この十日を1旬と呼び、1ケ月を上中下の3旬に分けたものが[3月上旬・中旬・下旬]などと使われている。

[五行]について

[五行] 暦上での十干は、万物の根源的成分と信じられていた五行説と結びつき、

1、木(き)

2、火(ひ)

3、土(つち)

4、金(か)

5、水(みず)

の五つに当てはめて、2つずつ重ねて使用することになる。

二つの文字は、[先を兄(え)][後を弟(と)]呼び年と日に使用され、それぞれの呼び名は以下のようになる。

1、甲(こう)=木の兄(きのえ)

2、乙(おつ)=木の弟(きのと)

3、丙(へい)=火の兄(ひのえ)

4、丁(てい)=火の弟(ひのと)

5、戊(ぼ)=土の兄(つちのえ)

6、己(き)=土の弟(つちのと)

7、庚(こう)=金の兄(かのえ)

8、辛(しん)=金の弟(かのと)

9、壬(じん)=水の兄(みずのえ)

10、癸(き)=水の弟(みずのと)

[十二支] について

[十二支]  中国の戦国時代の天球分割法十二辰は、天の赤道帯に添って、東から西に12等分した。これに十二支が当てはめられた。後になり、この干支が月を表すようになり、さらに日時や方位にも使用されるようになる。

    十二支の読    和読   動物         時刻      方位        五行

                           (旧暦)(表記時刻中心の2時間) 

1、子(シ)                  11     0                 

2、丑(チュウ)うし        12     2     北東微北  

3、寅(イン)   とら       1月   4時    北東微南    

4、卯(ボウ)             2月   6時                  

5、辰(シン)  たつ        3月   8時    南東微北    

6、巳(シ)                4月    10    南東微南   

7、午(ゴ)      うま         5    12                 

8、未(ビ)    ひつじ       6    14     南西微南   

9、申(シン)  さる         7    16     南西微北   

10、酉(ユウ)  とり         8    18     西            

11、戊(ジュツ)いぬ       9    20     北西微南    

12、亥(ガイ)              10   22     北西微北 

[二十四気] について

陰暦(旧暦)は、月の満ち欠けに日を当てはめる。季節を決めるのは太陽の位置で、月の満ち欠けで日を割り振る陰暦ではかなりのずれがでる。

そこで、

[冬至]一年の中で太陽が真南を通るときの時刻に、その高さが一番低い時。

[夏至]一年の中で太陽が真南を通るときの時刻に、その高さが一番高い時。

[春分][秋分]昼と夜の長さが同じで、太陽が真東から昇り真西に沈む日。

上記を、さらに細分化して24に分けたて季節の目安としたのが[二十四気]である。

太陽暦の年初めから数えると次の順序になる。

[小寒][大寒][立春]

[雨水] 219日頃。「陽気発し、雪氷とけて雨水となればなり」

[啓蟄(けいちつ)] 36日頃。啓=ひらく。蟄=むしかくれる。

「陽気地中に動き、ちぢまれる虫も穴をひらきいずればなり」

[春分]  陰暦では春分を含む月が2月と規定されていた。

[清明(せいめい)]

[穀雨(こくう)] 45日頃。「春雨降りて百穀を生化すればなり」

[立春]

[小満(しょうまん)] 522日頃。

「純陽の気、天地に満ちて、万物充満し、草木枝葉しげる故に小満という。」

[芒種(ぼうしゅ)] 66日頃。

「芒(のぎ)のある穀類を稼種する時節なればなり」

[夏至(げし)] 陰暦では夏至の含む月は5月との規定があった。

[小暑][大暑][立春][処暑][白露]

[秋分] 陰暦では秋分を含む月が8月との規定があった。

[寒露][霜降][立冬][小雪][大雪]

[冬至] 陰暦では冬至を含む月が11月との規定があった。

[雑節] 二十四気の他に入る雑節というものがある。

1、[土用]

2、[節分]

3、[八十八夜]

4、[入梅]

5、[半夏生]

6、[二百十日]

[九星] 人間の運勢や吉凶の判断に用いる九つの星のことで、実際の天体上の星ではなく、

五行説基本の、[][][][][]と、

[][][][][][][]を組み合わせ、

一白水星(いっぱくすいせい)

二黒土星(じこくどせい)

三碧木星(さんぺきもくせい)

四緑木星(しろくもくせい)

五黄土星(ごおうどせい)

六白金星(ろっぱくきんせい)

七赤金星(しちせききんせい)

八白土星(はっぱくどせい)

九紫火星(きゅうしかせい)

で、九年で一巡するように決められている。暦の方位図の中央(中宮)に毎年違う星が入れ変わるが、中宮に入る星をその年の本命星といい、生れた年の本命星が自分の本命星となる。

[日の吉凶] 日の吉凶を占う迷信は、ほとんどが干支、五行説から来ている。

1、[三隣亡(さんりんぼう)] 建築を始めるのに悪い日とされている。「この日に建てると隣まで亡ぶ」との迷信あり。

  ①旧暦の正月、四月、七月、十月は[亥の日]

        二月、五月、八月、十一月は[寅の日]

        三月、六月、九月、十二月は[午の日]が三隣亡にあたる。

2、[十方暮(じっぽうぐれ)] [甲子(きのえね)]から数える干支の準の21番目からの10日間、[甲申の日]から[癸巳の日]までは五行説からいうと、十干と十二支が相剋(あいあらそう)する日が八日間あり、八方ふさがりとなる。これに、天と地の二方を加えての十方ふさがりで途方(十方)に暮れるから十方暮と呼び、凶としている。

3、[天一天上(てんいちてんじょう)] 前項の十方暮の最後の日[癸巳(みずのとみ)]の日は、ふさがっていたのが晴れて吉となり、天一天上という。この日に天一神(てんいちじん)が天上に上り16日間諸方をめぐる。この16日間は良いが、残りの44日間は下界にいるので、この神の在位の方向に向きお産をしたり、弓を射たりしてはならない。

[月に関する事]

1、[新月] 太陽と月のみかけの方向が同じ時が新月。朔(さく)ともいう。

2、[上弦の月] 月が太陽から東へ90度の方向に来るとき上弦といい、右半分が明るく見える。

3、[下弦の月] 月が太陽の西側90度離れたところにあるとき下弦といい、左半分が明るく見える。また、上弦、下弦の月は弓を張った形に見えることから弦月(ゆみはりつき)と呼ばれる。

4、[満月・望月(もちずき)] 月が太陽から180度離れると満月となる。望月は、「その望みがみつ」から来ている。

  [仲秋の明月] 中国の習慣にならったもので、満月のうち旧暦815日の月を呼ぶ。

昔は、各季節を猛・仲・季の三つに分けたので、旧暦の7月を猛秋・8月を仲秋・9月を季秋となる。

5、[朔日(ついたち)] 月がたつという意味で、各月の1日目をいう。春が立つ日を[立春]とよぶの同じ考えである。

6、[日蝕・月蝕] 太陽や月が欠けていくさまが、虫が木の葉を蝕(ムシバ)む、に似ているところから始まった。

7、[干潮・満潮] 月の引力の影響で起こる。月に面した海面は、地球の中心より余計に引かれるので海面が盛り上がり、月と反対側の海面は地球の中心より引力が小さいので、月に面した側と同じだけ盛り上がるために、どちらも満潮になる。

地球の中心と同じ距離になる両側が干潮となる。

     平成2111日木曜日に上記総てを当てはめてみると、

「旧暦126  一白  大安  ひのえ うま」となる。

1、[旧暦12月6日]にあたり、太陽暦より約1ケ月遅れている。

2、[一白(いっぱく)]水星は、中国の占いの一種[九星]の一番目にあたる。

3、[大安(たいあん)]は、六曜の一つで、きわめて良い日となる。

4、[ひのえ うま]は、 [ひのえ]の部分は五行の2番目[]に十干の7番目[]を火の兄(ひのえ)と読ませた。[うま]は十二支の7番目の[]の日ということである。

  以上であるが、暦には多くのことが盛り込まれているものだと感心するが、これだけの内容を記憶に留めつづける自信はない。したがって、質問は原則的に受付けない。

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なぜ蛇に足がないのか (再)

平成20223

H19-10-24

人には、好き嫌いがある。「蛇蝎のように嫌われる」という言葉は、ヘビとサソリのように嫌われることだが、ヘビやサソリが好きで自分の部屋で飼育する人もいると聞く。「蛇を嫌いな人もいるが、好きな人もいる」というのが正確な表現なのかもしれない。

蛇は爬虫類の一種で干支の中にも含まれている。つまり、子(ネ)、丑(ウシ)、寅(トラ)、卯(ウ)、辰(タツ)、巳(ミ)、午(ウマ)、未(ヒツジ)、申(サル)、酉(トリ)、戌(イヌ)、亥(イ)の中の、6番目の巳がヘビにあたる。蛇を嫌いだろうが好きだろうが、12年に一回の割でヘビ年がきて、世界の全人口の12分の1はヘビ年生まれの人である。

ヘビの生態は、一般にはあまり知られていない。あまりの長さに気味が悪いので、知ろうと思わないのが本当のところであろう。けれどもヘビの種類は世界に2400種もあり、地球上の隅々で結構繁栄しているのである。蛇の姿を見ることは極めてまれではあるが、湿り気を帯びて深い光沢を放つ蛇腹をつけたヘビは、人類の眼の届かない草むらや落ち葉の下にうじゃうじゃと蠢いているのである。

  1864年に生れたジュール・ルナールというフランスの作家がる。彼は、新聞記者を経て文筆業に入り、変わった作風の数多い作品を残している。著書の一つに[博物誌]があり、自然界の事象を簡素な言葉で表現しつくしている。この著の中の[へび]の項では 「ながすぎる!」と、説明しているにすぎない。私も、それ以上の説明は無用だとは思う。

地球上に生命が発生したのが今から35億年前で、最初の生命体は細菌類だったという。様々な進化を遂げた末の31500万年前に魚類が発生し、その後の必要性からの両生類を経て爬虫類が出現した。爬虫類は冷血動物などと呼ばれて印象悪く認識されているが、人間の感じる印象が正しいとは限らない。情け容赦の無い殺人者を冷血漢などと表現するが、蛇が人間の言葉を理解できるとしたら、大いに気を悪くするはずだ。蛇はお腹を空かしたときに獲物を捕り飲み込むが、それ以外は実におとなしく虫も殺さぬ性格なのである。

13500万年前の白亜紀に発生した蛇もまた、体温が気温に左右されやすい性質を受け継いでいた。多少の体温を自分で補給することはできるが、あの身体の表面積ゆえに熱の放出量が多い。そのため、日当たりの良い場所に出て、身体に組み込まれたソーラーシステムでエネルギーを供給する。体温が気温に影響されやすいので、朝方や雨の後などは急いで日当りの良い場所にでて日光浴をし、己の体温回復に勤めなければならない気の毒な生物でもある。この体温を回復する場所が、草の生いていない日当たりの良い登山道で、ヘビにとっては迷惑な登山者などと顔を合わすことがある。勿論、蛇のほうは人間以上に相手の顔など観たくはないのである。蛇の世界から見た人間は、眼に映るものならなんでも食べてしまう雑食性の猛獣である。そんな猛獣とは拘わりを持ちたくないので、彼らは急いで草陰に隠れる。

  ヘビは爬虫類の中では最も進化の進んだ動物で、ジュラ紀にトカゲの一種から足をなくしてあの体型となっている。勿論、その必要性があったっての進化である。トカゲやヘビは争いを避ける温厚な内面性を持っている生物である。ジュラ紀末期のヘビの祖先は、台頭してきた鳥類等から逃げるという自衛手段で生き続けなければならなかった。蛇の場合、その逃げ場所が地中であった。ヘビは、土の中という特殊な環境に進出したトカゲなのである。生物の器官は有効に使いば使うほど機能的に発達する。反対に使用することが少なくなれば退化してしまう。この繰り返しが進化をもたらすのであろう。

ヘビの体が長くなったのにも理由はある。ヘビは、魚よりうまく水の中を泳ぎ、サルよりもうまく木に登ることの出来るトカゲ類で、その長い体型になった理由は、地上で活発に行動するためのようだ。四肢の退化した細長い身体の何処にも突起のない身体は、草むらのような障害物だらけの地形で驚くほどの速さで移動できるのである。あの35頭身のスマートな体型は、狭い入り口を通り抜けて石の下に潜ったりするのにも都合が良い。彼らにとっては、4肢の退化こそが素晴らしい機能を身体に得た進化だったのである。

ヘビの祖先が進化の過程の一時期に、暗い地中生活をしなければならなかったのは確かだが、本当のところはどのようなきっかけはわかっていない。しかし、ヘビが爬虫類衰退の時期を乗り越えての今の繁栄を見るにつけ、地中を生活の場とした判断は正解だったのだ。現在の様々な蛇類は、地中の生活で[蛇足]となっていた四肢を捨て、退化した視力の回復をはかった後に、独特の歩行法を見つけ出したのであろう。

   私は、広々とした原野を歩くときに、ヘビにだけは会いたくないと思いながら進む。だが、そんな私の前を蛇は必ず横切る。このことを、ヘビが嫌いでない知り合いに話したところ、「どの場所で何時ごろだ」と眼を輝かせて聞く。彼は、その場所に次の日に出かけて行き、いやがるヘビを草むらか引きずり出し、自分のコレクションに加えた。

  爬虫類の愛好者の理想は陽当たりのいい砂浜でオイルを摩り込んで肌を焼くことではなく、薄暗いジャングルの奥に家を造り、草むらから家の縁の下にゆっくり移動するヘビを眼で追ったり、庭木の幹や枝にたわわに垂れ下がるヘビが昆虫などに反応する姿を眺めたり、食事の残り物の鳥の腿肉を投げると、それを口でキャッチするアナコンダがいる風景なのである。

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ラッコは海のうねりに夢を見る(再)

平成20221

H19-10-25

  ラッコは道具を使用して餌を食べる。ウニなどを食べるときに仰向けに水に浮き、お腹に置いた石にウニをたたきつけて栗のイガのような棘を壊し中の卵巣を食べる姿が愛くるしいのでファンは多い。ラッコがウニを直接自分のお腹の上に置き石で叩かないのは、叩く度にウニの棘が身体に刺さるの知っているからだ。実に頭もいいのである。

ラッコは、海底の動きの鈍い生物を好んで食べるようだ。ウニの他には、貝類、カニ、エビなどで、どれも逃げ足の遅い魚介類を食用にしている。ラッコは、これらを一日5k8kグラムも口にする大食漢である。人間が陸上のスーパーで8Kgもの高級食材を仕入れ一人で食べ続けたら、胃腸を悪くするか、あるいは、経済的危機におちいるだろう。その点、ラッコの場合、仕入れは只なのだからうらやましい。

  ラッコがカニを食べるとき、まず挟まれないように二本の鋏を食いちぎる。今度は逃げられないように総ての足を食いちぎる。後に残されたものはカニ味噌の詰まった甲羅だが、充分に味わって食べるようだ。だが、カニ味噌を食べた後の甲羅に日本酒を注ぎ、火にかけるようなことまではしない。その酒が実においしいこととは無縁な生活をしているのがラッコである。

一個目の貝を食べるとき、お腹に抱いた石に貝を打ちつけ貝殻を割る。二個目からは身の詰まった貝をお腹に乗せ、前に食べた貝殻を打ちつけて割る。石を永くお腹に載せているとお腹が冷えるからだと思うが、学術的根拠は何もない。

ラッコの祖先はいたち科で陸上の生物だったが、約500万年前に海に生活の場を求めた。海に入った哺乳類の先輩たちには鯨、オットセイ、トド、セイウチ等がいるが、これらは海に入った時期が早かったので皮下脂肪を蓄えて冷たい海に順応するための進化が完成されている。ラッコは進化の面で皮下脂肪を取り入れる時間がなかったので、きめ細かな体毛の間に空気を蓄えることにより、肌に直接冷たい海水を触れないようにする。このやりかたで海上での生活に耐えることができるようになったのだが、掌と鼻の頭には体毛がはえていない。かくて、潜水時を除き、海面に浮いているとき掌と鼻を水にぬらさないようにするための努力が科せられる。理由は、冷たい海水が直接肌に触れるのが嫌いなのである。突然、小泉八雲の[耳なし芳市]を思い出したりする光景ではある。

ラッコは海面に仰向けになり眠る。この場合、眠っている間に波に流されないための準備が必要だ。朝眼を醒ますと見知らぬ海域を漂っていたのでは、はなはだ都合が悪い。仲間や恋人や親兄弟と離れ離れになり、二度と会うことができないのでは余りにも悲しい。彼らは、そのような悲劇を事前に回避する方法を知っていた。まず昆布の林の上に行き、海面に浮く昆布で身体を固定して眠りにつく。眠りの中での夢は、母親の胎内にいた当時の安らぎのうねりであろうか。ともかく、陸を離れてからのラッコは、一生涯波のまにまに身を任せる動物となった。

道具を使う動物はこの地球上にたくさん生存している。木の中に住む虫を小枝で追い出す啄木鳥。蟻の巣に草の茎を差込み、怒った蟻が草の茎に攻撃をしかける頃合を見計って引き上げ、茎に噛み付いている蟻を食べるオラウータンなどがいる。

道具を使うのではないが、南米に住む鷲の一種にユニークな方法で餌を得るものがいる。肉食獣が食べ残した動物の干からびた骨を見つけ、それを咥えて大空高く舞え上がり、岩場の上空に移動して落とすのである。その心は、石の上への落下の衝撃で骨を割り、その髄肉を食べるためである。豚の骨髄でとる豚骨スープを売り物にしているラーメン屋が多いことから思いついたのではなく、彼らのほうが早く骨髄の旨みに気付いていたのだ。

  約30年以前に、南米の鷲類の話をした知識豊富な知人の話が終わった後に、「その鳥がもっと進化の過程を経れば、骨を地上に置き、石を咥えて上空から落とし骨に当てるだろう」と、軽口をたたいてしまったことがある。周囲の人には受けたが、鳥の生態に詳しいその知人には、それ以来口を聞いてもらうことはなかった。それ後の私は、年上の人が同席しているときには冗談は言わないようにしている。最近になり、また冗句を云う頻度が多くなった。私より年上の人が年々少なくなっているからだ。

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ジュラシック・パークの檻の中で

平成20116

  1975年、スティーブンスピルバーグ監督の映画[JOWS]は大当たりし、彼の名を世に知らしめた。巨大鮫と戦う海洋パニック映画で、平和な海水浴場で泳いでいた美女の顔が苦痛に歪み、何度か水中と水面を出入りしたあと水中に消えていくところから始まる。ジョーズはその年の流行語にもなり、その年の夏から3年間は海水浴客が激減したという曰くつきの映画であった。

スピルバーグは、このジョーズの18年後の1993年に[ジュラシック・パーク]を撮った。この映画の内容は観客の度肝を抜く内容であった。大富豪の個人所有の南米沖に浮かぶ孤島では、太古の琥珀の中に閉じ込められていたDNA(デオキシリポ核酸)から遺伝子工学により蘇らせた恐竜を主役にした娯楽施設を造り、一般に公開する準備をしていた。嵐の夜、再生された恐竜達は檻を破り人間に襲いかかってきた。その恐怖からいかに脱出するかがこの映画の見所で、観客は始終ハラハラしながら画面に見入り、強烈な排尿感と戦いながらラストにいたる。この映画でも、セオリー通り主役の数人は窮地に一生を得て島を後にする。

生命の源は、30億年前の海に発生した。それは、酸性の強い濁った海水中に出現した単細胞生物や、それらが結合したランソウ類であったという。[地球上での初期進化の過程では、まず植物類の勢力が先行して大気中に酸素を放出したあと動物が現われる]という、後代の学者が信じている順序だったと考えられる。

最初の動物は、約6億年前のクラゲやゴカイ類であろう。海中の植物群が放出する酸素が大気中に蓄積され、酸素濃度が高まるにつれ大気の外側にオゾン層が形成された。オゾン層は強く有毒な紫外線を遮断し、海中深く生活していた植物は陸地近くの浅瀬に移動していく。そして、まず植物が、約4億年前に海中から陸に上がった。この時代は魚類の全盛期にあたり、現在の世まで生き延びているシーラカンスのような焼いても箸をつけるのを躊躇してしまうような形の魚がウヨウヨ泳ぎまわっていた。約3億年前ごろの地球の温暖で湿潤な気象が植物の成育条件に合い、瞬く間に地上のほとんどを羊歯科の大木で覆い尽くす。これが石炭紀である。この植物の繁栄を追い、どこから涌いて出たのか昆虫類が陸に上がる。さらに、繁栄し続ける植物や昆虫を食べる動物がゾクゾクと陸に上がってくる。なにかと都合があるので一行で書いてしまったが、その一行での事象でも数千万年単位の時間の推移が必要である。

水生の動物が水から陸に上がる過程は、増水期に浅瀬に寄った魚類が水が引くのに気づかずに水溜りに取残されたと想像される。最初の頃は、ただ脱水症状の結果に粗悪な乾物になってしまっただろう。上質な乾物は、誰かが適度の塩分を魚肉に振り掛けなければならないが、その工程を担当するパートさんが当時は不足していた。

さて、陸に取残される仲間の姿を度々見ていた魚がいたと仮定する。その知能指数の高い魚が、水辺が干上がる直前に引き水と一緒に海に戻ればよいと考えたとする。彼は度々そのことを実行し、絶妙なタイミングを会得することより自身の乾物になる危険を回避した。ある時、たまたま引き返すタイミングを誤って取残され、脇ヒレ尾ヒレをばたつかせてあがいたら砂の上を前進することを知った。水のあるところまで移動しなければ死ぬわけだから、彼は人の噂や嘲りの視線を無視して必死に移動したはずだった。

ほんの2億年も経過すると、やがて、水にどっぷり浸かっていなくても生きられる両生類が出現する。比較的に水辺から遠くまで行動半径を広げた両性類も、卵だけは水中に産まなければ乾燥に耐えられないという弱点を持っていた。必然的な理由から卵の殻を厚くして、陸地の乾燥に耐えられる卵を産むように進化を遂げたのが爬虫類である。

古生代の終わり頃に、爬虫類の中の一部が恐竜の原型を形成した。中世代三畳期後期には二足歩行が出来る肉食恐竜などが出現し、大型の草食恐竜を襲うこともたびたびであった。この頃には、空を移動できる鳥盤類の恐竜も出現している。この時代に生きた我々人類の祖先の哺乳類型爬虫類は、食料となる植物界の進化に対応できずに衰退の道を歩んでいた。哺乳類型爬虫類の一部小型のものが夜行性となったり、地面の下に潜ったりして哺乳類に進化していく。ネズミに似た我々の祖先は、65百万年前に恐竜が絶滅するまでの13千万年もの間、物陰を素早く移動する生活を余儀なくされた。それはあたかも、闇金に追われる多重債務者のような生活であった。

平成20116PM8:10現在の地球上の人口は6,651,098,315人で、24時間に20万人ずつ増え続けているという。これは、聞いた数字をただ書いただけで、私の思考の範囲には数字的な実感はなにもないが、とにかく人類の発展はめざましい。

  全盛を誇った恐竜が、巨大隕石の衝突による気象条件の悪化により絶滅したように、人類の隆盛の後にくるのものが絶滅であることを否定することは難しい。資源の枯渇、人口増加の果ての食料不足による破局。いずれにしても生命は有限で、地球そのもの運命もまた有限である。だれもが思うように「自分が生きている間は大丈夫だ!」が、当てにはならないのが現代の恐ろしいところである。核弾頭を搭載したミサイルを持つ二、三の国が極度の絶望に陥り、ノイローゼになったそれぞれの国のミサイル発射係が、ろくに方向も定めずに夏の夜空に花開く花火のごとく核弾頭ミサイルの総てを打ち上げたら、少なくとも私の明後日はないかもしれない。

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仙人の理想と万人の現実

平成20112

何年か前のNHKテレビ番組に[列島縦断鉄道12,000Km~最長片道切符の旅(JRの路線網を一筆書き)]という番組があって、それを観たことがある。北海道稚内駅から佐賀県肥前山口駅までJR路線の最長の距離を一筆書で7週間かけて旅をする番組であった。ここでは、佐野周治の孫の関口知宏が進行役を勤めていて、知宏本人が旅をする番組である。旅先での人々との交流の数々、車外の新鮮な風景を眼で追う1時間半は、あっという間の時間であった。

現在の長距離トラック便では24時間あれば日本のどの地域までも荷物を運ぶことができる時代であるが、何でも早く着けばよいというわけではない。この眼の回るような時代だからこそ、ローカル線を乗り継ぎ、時間の流れに身体をそっと乗せるような旅が一番贅沢な事なこかも知れない。

むかし雑誌のグラビアで観た豪華客船クイーン・エリザベス2世号の船旅の記事に胸を躍らせられたことが思いだされる。早朝、船窓から海原の観える寝室で眼を覚まし、ガウンをはおり浴室までゆったりと歩き、体温より4度ほど高い温度のシャワーを浴びる。熱いシャワーの雫を分厚いタオルで拭き取り、裸のまま鏡の前に座り髭を剃り髪を整える。朝食までの間の時間は、知人や親類の中での友好的な家族に謙虚な文面の手紙を書く時間に充てる。そして、友好的でない人間の一人を選び、自分がいかに優雅な船旅を楽しんでいるか伝える好戦的な内容の手紙を一通紛れ込ませる。後者は、最も楽しい作業となるはずだ。受け取った者が、その手紙を床に叩きつけるであろうことまで想像すると、楽しさは倍増する。

朝食後のテーブル周囲の人々との団欒、規則正しい歩幅での甲板上の散歩。自室に戻り水着を持ち最上甲板にあるプルーに出かけてプールサイドの椅子に座る。露骨でない程度に女性のボデーラインを鑑賞したりしながら昼食までの時間を過ごす。昼食後の軽いスポーツ、その後のテータイムのケーキと紅茶の味。正装に着替えての西洋式夕飯。舞台では様々なショーが繰り広げられる。デナーのあとはバーに立ち寄り舞台でのマジックなどを楽しみながらスコッチを舐める。というように、船旅の時間はゆったりと進むように感じられたのである。ただし、私には一番似合わない世界だとも思う。たとえ夢想の域であっても、くれぐれも分をわきまえなければならないと自戒もした。

今までは、きたるべき連休などを暦で確認し、2週間も前から様々な計画を立て、その連休が終わってみると時間だけを浪費したにすぎない。いつのころからか、物事に対処しようとしたとき、納得がいくまで時間をかけるようにした。これは、持病の腰痛などにより機敏な行動がとれないということもあるが、事象をゆっくり観察すると今までより数倍も充実した心に浸れるようである。野仏の前に立つときは一体一体の表情の違いを確認し、建立者の願い事まで読み取ろうとする余裕が備わってきた。ついでに、この地藏様を作るのには一人の熟練石工が4日ぐらいの時間を要するから石工の4人口の日当はいくらで、素材の石材の仕入れ値、さらに納入時の親方が依頼者に渡すさいの掛率、販売店のマージン、運送屋の取分などを計算してみたりする。従って、野に立つ6地蔵ぐらいならさほどの時間は掛からないものの、五百羅漢像の並ぶ東堂山(田村郡小野町にある寺)の奥院への道筋にでも迷い込めば、丸一日はそこを出ることができないのだ。様々なことを具体的な項目に分けて計算し、それに際限のない検算を繰り返したりすると、その人の帰宅は深夜になるかも知れない。

時間をゆったりと楽しむことは、ある種のゆとりではないかと思うことがある。コーヒーを横に音楽に耳を傾ける時間。山野に出かけての探鳥。誰も気にかけない自然の中に押し入り、自分だけの空間の前をながれるたおやかな時間。

  繁華街の雑踏のなかにもそのような空間を見つけ出す方がおられる。深山を歩行するように、安らぎをたたえた顔で遠ざかる年配の方を見かけることがある。その後ろ姿の表情には、まさに仙人の風格が漂う。

  この仙人の横を追い越し、今日だけは目的地へ急がなければならない私。

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地球は誰のもの

平成2014

環境破壊が叫ばれてから久しい。地球温暖化が進み両極の氷が融ける速さが年々加速されているという。各国が互いに協力し合い、ある程度の効果が上がってわいるが「幾分その進行が遅れたようなきがする」程度なのであろう。実際のところ、新たに起こる思いもよらない汚染、破壊に対し、規制が追いつかないのが現状のような気がする。米国の政治家の一人が「どのようなことでも規制があるからやらないのではなく、物事を始めようとするときには、あらゆる結果を予測して事に当たるという姿勢が大切である」と、かなり立派なことをいったが、自国がそのルールを守っているかというと、大きな疑問がわく。

自然界の汚染原因の100%は、人類が作り出したものであることを疑う者は少ない。 もし、人類以外の動植物に意思と言葉があったら、人類に対しての抗議の声でテレビの音も聞こえないくらいであろう。不法投棄による海の汚染、 化石燃料過剰消費による大気汚染、動植物の乱獲による生態系の破壊、これらの原因のどれ一つ取っても人類以外の犯人を見つけ出すことは難しい。それに比べ、土の中で際限なく穴を掘り進んでいるミミズでも、集団で稲穂に群がるスズメでも、夕方に薄明かりの闇に出動する蝙蝠ですら、地球的規模の環境保全の立役者なのである。

地球上では、ある種の生物の異常発生により一部地域の環境が大きく損なわれることがある。総ての緑を食いつくすイナゴやバッタの異常発生、繁殖力が強いネズミなども異常に個体数を増やすことがある。しかし、これらは、一定の地域を食べながら移動し繁殖を繰り返すことにより、行動範囲内に食べるものがなくなれば死滅してしまう運命にある。つまり、固体数が多ければ多い分だけ必要な食料も多くなるから、破局も早まる。その後は、植物本来の生命力により以前の環境を取り戻すのにさしたる時間はかからない。

草が生えて欲しくない庭の雑草の繁殖力には驚かされる。頼みもしないのに風が植物の種子を運び、雨でも降ろうものなら我さきに発芽し、瞬く間に緑色に塗り込めてしまう。友人の一人が、歯を磨きながら1ヶ月ぶりに我が家の庭を見て驚いた。自分の身の丈ほどの木が生えていることに気付いたからである。庭に棄てた観葉植物の枝が根付き、一気に伸びたのだという。これらは、草木が人類に挑戦しているわけではなく、宅地造成のための開発を始める前の自然を取り戻そうとする植物本来の義務感のなせるわざなのである。

日曜日に御主人が刈り込んだ庭の芝生は綺麗に観える。奥様の眼で見ると、隣の芝生のほうがより綺麗に観える。この芝草そのものは、本来は短い背丈では我慢できない性質を持っている野性の生命体である。以前、倒産したゴルフ場のコース跡に入ったことがある。人間の背丈の2倍はあろうかと思われる高さの芝草が密生する大草原であった。そのとき私は、これら芝草本人は、ゴルフ狂の人間の都合とは反対に、自由に背丈を伸ばして小鳥の巣造に協力したと思っていることが判った。

「眼を覆うばかりの環境の悪化は、人類の個体数が増え過ぎたことと、一人一人の無駄と思われる膨大な消費を伴う犯罪的生活様式が真犯人である」と、日曜日の民間テレビに出る大学教授の一人はいう。「一人一人の衣服、食料、住居を確保するための乱開発。最小限という言葉が死語になった現在の過剰生産、過剰消費、過剰廃棄。何かを犠牲にすることを前提に成り立つ人間の趣味の領域。これら総てが犯罪的行為なのである」と、内容とはうらはらな冷静沈着な言葉は続く。

「人類は地球上の多くの生物の中にある一つの種であって、地球環境は人類のためだけのものではない」ともいった。環境問題をテレビ画面で話していたこの大学教授は、最後に、より低い声でいった。「全人類が消滅すれば、総ての問題は解決される。有史以前のたわわな稔りと、必要最小限の収穫を遵守する動物達の営みが戻ってくるのです」

難しい事は理解できないので、生ゴミを少なくして、燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ゴミと分別し、今まで通り、決められた日にゴミ置き場に出すことを続けようと、私は思った。

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シーラカンスの切身販売

                                                       平成2011

  福島県いわき市の水族館[アクアマリン福島]へは数回出かけた。何度覗いても、巨大な水槽の魚の群れには圧倒される。無駄の無い流線型の魚体の小さな体のひねりで、あのような移動スピードが生れることに驚異を感じるのだ。昨年の春だったか、同水族館長をキャップとするシーラカンス委員会のメンバーがインドネシア調査隊を組織し、インドネシアの海でシーラカンスの生映像の撮影に成功している。水深150mから300mの岩棚の隙間で、カメラのほうに口を開いて威嚇するようなシーラカンスの映像は、世界でも初めてではなかったか。

この古代魚が世に出た発端は、11年前のインドネシアの魚市場店頭で売りに出ていたグロテスクな魚を、新婚旅行中の生物学者が写真におさめたことからであった。このときの彼の間違いは、写真におさめただけで、そのシーラカンスを買い取らなかったことである。そのことを宿に着いてから気づき、急いで市場に戻ったがすでに遅く、シーラカンスは切り身にされ売られた後だった。彼がシーラカンスの標本を得て、世に認められたのはずっと後のことだった。

  シーラカンスは、古生代デボン紀中ごろから現在までの38000万年を生き延びた、生きた化石の一種である。当初の学会では6500万年前の絶滅が通説になっていたが、1938年(昭和13年)アフリカ東海岸で生きたシーラカンスが発見された。漁師の網にかかった魚の中から発見されたのだが、それ以前の現地ではそんな大それた魚だとはつゆ知らず、塩漬や乾物として食べられていた。この発見以来、シーラカンス発見者には懸賞金が付き、現在まで100匹余が捕獲されている。

  現代に生息するシーラカンスは体長2m前後で、厚い鱗に覆われている。深海生物に多い緑色の眼をもち、3枚ずつの脇ヒレ、前後2枚の背ヒレ、ヘラ状の尾ヒレを持ち、それぞれの使用法は他の魚とは異なり、船の艪をこぐような動きをする。水深200m前後の切り立った岩場に住んでいて、主に小魚を食べる肉食性である。獲物を捜すときに逆立ち姿勢で海流に身を任せ、口のそばを通りかかった魚を捕らえる。卵は体内でかえし、お腹の中で1年前後育てた後の稚魚を出産する。未だに、その稚魚がどのように経路をたどり成魚になるのかを観察したものはいない。

  地質学上の年代区分は大きく分け、古生代・中生代・新生代となる。これらの各区分名に[]という字が使用されているのは、化石により発見された生物の種類を基に作成された年代区分らしい。これらそれぞれの区分点はかなり好い加減なもので、今まで何度も違った解釈がなされ、今後も何度も別の解釈がなされる性質のものである。

  古生代をさらに、旧い順からカンブリア紀(57千万年前~)・オルドビス紀(5億年前~)・シルル紀(44千万年前~)・デボン紀(39500万年前~)・石炭紀(34500万年前~)・ベルム紀(28千万年前~)の6つに分けたが、一番旧いカンブリア紀より旧い地層でも多くの化石が出土するようになり、57千万年前以前を[先カンブリア時代]と呼ぶようにした。

  今から57千万年前の古生代カンブリア紀には、すでに水中植物と無脊椎動物(ミミズに似たゴカイ等)が海中に生息していた。この時代の藻の一部が進化し、4億年前のシルル紀に一部の植物が陸上に上がった。同時代に魚の仲間の脊椎動物が出てきた。デボン紀(39500万年前~)に出た両生類が陸に上がった脊椎動物なのである。シーラカンスは魚類から両生類に進化移行する中間の魚で、どの時代あたりから進化速度が停滞したかは今のところ解ってはいないようだ。

  石炭紀(34500万年前~)には両生類の一部から完全に陸上に上がった爬虫類が出てきて、2億3千万年前の中生代三畳紀中ごろには育ちすぎた爬虫類の恐竜が地上と海と空を独占してゆく。恐竜は6500万年前の白亜紀末に地球的な気象条件の悪化が原因で絶滅してしまった。地質学上でも生物学上からも、シーラカンスがこの時点で絶滅したと思ったのも無理はなく、一方のシーラカンスにとっては、傍若無人で横柄な態度の礼儀もエチケットもわきまえない新参者の人間に見つかってしまったことには、大いに迷惑だと思っているに違いない。

  我々人類の祖先は、無脊椎動物―脊椎動物―両生類―爬虫類―哺乳類と進化の過程を踏み、一番古い人類の祖先に到達したのが500万年前である。人類の脳の古皮質には、これらの遺伝的な記憶も蓄えているらしい。人間の心の中に潜む残忍性は、進化の過程での23千年前に爬虫類から哺乳類に移行するときの爬虫類の残忍性が受け継がれてきたものだいう学者がいる。

  この潜在意識化に潜む残忍性を表に出さないような訓練と教育を受けているのが一般市民である。反対にこれを前面に押し出し売物しているアウトローや、それを取り締まる御役人様の行動と目の色が、爬虫類のそれに酷似しているのは当然といいば当然の事ではある。

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銀杏の葉とゲーテ

                                                                                              平成19113

銀杏の葉(ゲーテ作 井上正蔵訳)

これは はるばると遠いくにから

わたしの庭に移された木の葉です

この葉には 賢者の心をゆすぶる

ふかい意味がふくまれています

これは もともと一枚の葉が

裂かれて二枚の葉になったのでしょうか

それとも 二枚の葉が相手を見つけ

一枚になったのでしょうか

こうした問いに答えられる

本当の意味がどうやらわかってきました

わたしの歌を読んであなたはお気づきになりませんか

わたしも一枚でありながら あなたとむすばれた二枚の葉であることが

これは、ドイツの詩人ゲーテが恋人マリアンネに、古城の庭に落ちていた銀杏の葉を添いて贈った詩である。ゲーテ66歳の時であった。

[ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ]は、1749年ドイツのフランクフルトに生まれた。帝室顧問官の父と市長の娘だった母を持つ裕福な家庭で厳格な教育をうけ、父の意向もあり16歳で法律を学ぶために大学に入る。大学では法律よりも文学や美術に目を移し、甘美な詩作に明け暮れる不規則な生活の末に健康を損ねて帰郷する。しかし、1年半後に別の大学で法律、医学、自然科学に関する知識収集に力を入れた。この頃出合った5つ年上のヘルダーとの交流がゲーテの文学者としての底辺を形成したようだ。のちに哲学者、文学者となるヘルダーは、永くゲーテとの交流を続けた。

1774年発表の[若きヴェルテルの悩み]で文壇での名声を得たゲーテは、この後の10年を政治家として活躍する。政治の実務に疲れたゲーテは1786年イタリアに赴き、再び芸術家として再生を果たす。「政治家を10年続けて平気で暮らせる人間は、正常のモラルの持ち主ではない」などとは口には出さなかったろうが、そのときのゲーテは心の中ではそれに近いことを考えたに違いない。洋の東西の別なく、政治化には良い人もいるが、そのほとんどは極悪非道の人間である。

墓碑銘(ゲーテ作 高橋健二訳)

少年のころは、打ちとけず、反抗的で、

青年のころは、高慢で、御しにくく、

おとなになっては、実行にはげみ、

老人となっては、気がるで、気まぐれ

君の墓石にこう記されるだろう。

たしかにそのことが、人間であったあかしなのだから。

  183283歳でこの世を去るまでに、ゲーテの残した膨大な詩篇と小説、戯曲は、今でも多くの少年、少女、そして多くの青年の愛読書になっている。また、老人が目を細めてページをめくる時、かっての思い出が、どのページからも生き生きと湧き出してくる書物でもある

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