平成20年4月20日
ワインがどのように造られるのかなどと考えたこともないが、ワインを知るためにはその醸造法を知るのが早道である。ワインの造りかたを一口でいいば、収穫した葡萄の実をすりつぶし酵母を加え、醗酵したものを樽に移し熟成させる。これだけである。
詳しく話せば永くなる。葡萄畑からの収穫により開始されるワイン醸造の工程は、一般的には以下の通りである。
①葡萄畑での葡萄の実の収穫
収穫の時期は国により異なるが、概ね9月から11月にかけてとなる。フランスやイタリアのワイン用葡萄の木は日本の葡萄棚のようなものではなく、人間の身長ほどの葡萄株という表現があっているように思う。むかし観たフランス映画の中では、収穫期には近隣の国や自国の地方からの季節労働者が雇われ、葡萄房を腰に下げた篭に摘み採る役目と、それを大篭で集めて運搬する役目とに分かれて作業を進める。葡萄房を摘み取る役目は女性が多く、それを大篭で集荷する役目は屈強の若者の役目となる。映画のなかでは必ず娘と若者とのロマンスに発展するか、娘と雇い主との間にあやまちがおき、子供を宿した娘が自国に帰り出産、数年後にその子が父親に会いに来たりして思いがけないストリーに発展するのである。
②破砕(ハサイ)処理工程
醸造所に運ばれた葡萄の実は、破砕機にかけられ潰される。この工程では葡萄房の軸の部分が取り除かれる。
③醗酵工程
赤ワインは、潰してできた果汁を果皮と一緒に醗酵タンクに移し、白ワインの場合は潰した果汁をさらに圧搾機にかけ、果皮を取り除いた果汁だけを醗酵タンクに移す。
葡萄の果汁は酵母の働きで醗酵し、含まれている糖分がアルコールと炭酸ガスに分解される。この醗酵期間は約10日~20日間ぐらいである。赤ワインの場合、醗酵の終ったあとに絞り機にかけられ果皮やその他の不純物が取り除かれ、生前が葡萄であったことが想像もできない形で肥料や家畜の飼料にまわされる。ワインになるのは、片一方の絞られた液体のほうである。
④熟成工程
醗酵の終った若いワインは樽やタンクに移され熟成される。この熟成期間中にワイン本来の熟成香が生まれ、ワインの味にも深みが増すことになる。醗酵樽や醗酵タンクの底には澱が沈殿する。時々沈殿した澱の部分を取り除き、この後の貯蔵中に味が濁らないようにしなければならない。この澱は醗酵の進行中に形成される不要なもので、成分はタンニン、酒石、役目の終った酵母の死骸などである。熟成樽に移された後には何度も何度も澱引きがなされ、そのたびに新しい樽に移しかえられる。
⑤ビン熟工程
樽で熟成されたワインはビン詰めされたあとコルクの栓で塞がれ、暗く静かで涼しい貯蔵庫に寝かされる。ビンの中でも熟成は続けられ、味は人間の好む方向に変化し続ける。人間の好まない方向に変化することもあるが、この場合を腐敗と呼び忌み嫌われる。
ワインを含む醸造酒は、醗酵がどんどん進んでいくと最後は酢になってしまう。むかしむかしのワインは、熱い夏には2日ぐらいで酢になってしまったという。それを防ぐための思考錯誤から、現在のワインの醸造技術と熟成技術、そして保存法が確立されたのであろう。
ずっと昔の人が考えた醗酵を停止させる方法は次の通りである。
(イ)深い穴倉を作り、外気温を遮断することで低温を保ち、醗酵を抑えた。
(ロ)ワインのビンを水や氷で冷やし、醗酵を抑えた。
(ハ)ワインに熱を加え、醗酵菌を殺菌することで解消した。
(ニ)ワイン醗酵途中でブランデーを混入させ、アルコール分を高めことにより醗酵菌の働きを停止させた。
(ホ)悪くなりそうなワインを総て飲み干し、その心配から開放された。
現在では、温度管理できる貯蔵庫が市販されている。それでも管理面に気を許すと、ワインはいつでも泥水に変身してしまうことは、昔も今も変わらない。
ワインボトルの底は、土饅頭型に中心が高くなっている。このボトルの上げ底形状とコルク栓の発明は、同じ17世紀の末の産物である。特にコルク栓の発明は画期的で、これ以前のボトルワインは古くなれば腐敗してしまい、年代物の酒に熟成することなどできなかった。コルク栓の役目は、通気性のあるコルクの特性を生かし、ボトルを斜めに倒すことによりボトル内ワインを呼吸させるところにある。コルク栓とボトル内のワインの間に空間ができると酸化してしまうので、横のものを縦にしなければすまない性格の人がワイン貯蔵庫に近づかないように監視人を置く必要があった。
コルク栓の特性によりボトルに詰められたワインは、ボトル内でも熟成は進行している。熟成中のワインは絶えず不純物の澱を作り続け、底に沈殿していく。当初のボトルは日本酒の四合ビンと同じく底が平だった。平らな底に沈殿した澱は、短距離の移動でも全体に散らばりワインの味を台無しにしてしまう。味にうるさい人が考え出したのが土饅頭型の上げ底である。沈んでいった澱は上げ底スロープを滑り落ち底の周辺に集結し、ボトルを多少揺らしたからといってワインの上方に舞い上がることがなくなった。
現代の日本国内では、ワインは家庭の奥深くまで浸透してきている。若い御夫婦がワインの銘柄を選ぶのに永い時間をかけて話合っている姿を、酒の専門店などで見かける。遠目にもワイン通と見受けられるが、通は通として認めてさしあげますから、どうか、買い物をする間は握り合った手を離してもらいたい。見ている当方の顔が赤くなってしまうからである。
現代の溢れるばかりの贅沢な物質に囲まれている日本国では、世界中のどんな商品でも手にはいらないものはない。世界中のワインを手にすることができるばかりか、望むなら、拳銃や自動小銃、核弾頭搭載のミサイルまで手にはいるという。私は、本物のトカレフが大人の玩具屋で売られているという話を聞いたことがある。まあ、これらの例外的商品の場合、価格の上で折り合いがつけば密かに持ってみたいような気はする。
すでに優雅な私生活の中でワインを楽しんでおられる方は別として、今まではビールや日本酒やチュウハイを楽しんできた人の中にも突然、僭越にもワインに興味をもたれるような人もいないとも限らない。これらの人を対象に、ワインの取り扱いに付き知っていることと、知らない分部を知っているかのように述べると以下のようになる。ただし、私自身は黴臭いワインなど大嫌いなので、かなり、説得力には欠ける。
①ワインボトルの扱いで最も大切な点は、高価なワインを大量に購入した場合のボトルの管理と保存法である。保存にはボトルのコルク栓に内部のワインが触る角度に傾けられる棚を作りそこに並べ、なにより、その中身を口にするのを一定期間待つゆとりを持てる人間になることである。しかし、四合入ワインが500円から800円のものである場合は特に難しく考えずに、気を楽にして渦巻状の栓抜きを突きたてても、そのマナーに異論を唱える者はいない。
②酒は光と熱を嫌うが、ワインは特にその傾向が強い。特にお客様に自慢したいクラスのワインを保存するなら、今すぐスコップを手に持ち地下室を増設しなくてはならない。地下室は薄暗いだけでは目的を果たさないから、自然温度管理ができない場合はエアコンの設備も必要になる。カッコーを付けるのには、それなりの出費を覚悟しなければならない。
③ワインのボトルを強く揺らせると、底に沈殿していた微少の澱を全体に拡散させ、豊穣が売り物の味をだいなしにする。ワインの輸入業者は、船便輸入したワインを、陸揚げ後4ケ月から6ケ月ぐらいの間、寝かせてから市場に出すという。彼らは、客からお金を戴いて商品を渡すのだから、そのくらいの注意義務が課せられて当然である。
これまた古い話で恐縮なのだが、アメリカが物の道理をわきまえない女性議員どもの言葉がもとで、禁酒法時代に突入したのは1920年(大正9年)であった。この禁酒法は、アルコール飲料の製造・販売・運搬・輸出入を禁止した法律で、密造・密売などが続出したため1933年に廃止された有史上最大の悪法である。
法律で酒を飲むことを禁止する噂を聞いたアメリカ国民は、何を考えただろう。彼らは、われさきにと走りだした。行き先はドラックストア・デパート・セブンイレブンで、酒の売っているところは酒愛好家であふれた。それぞれの客の眼は、消防自動車のボデーカラーのように充血し、長蛇の列に割り込み体列を乱した小学校の教頭先生に、教会の牧師先生が腕まくりで抗議しているほどのありさまであった。
禁酒法が発布されてしばらくすると、一般家庭の洋服箪笥奥の酒も底をついてくる。[飲む酒がなくなったから飲まないでいる]ことができないのが万国共通の酒愛好家である。当然、闇で酒を売る店に足を運ぶ。闇値は高い。金の無い大部分の人は、酒を自分で造れないかと考えるのは当然の成り行きであった。かくてウイスキーを造るための道具が家庭内に持ち込まれ、風呂場のような空間を占領していった。この趣味の酒造りは隆盛を極め、家庭用蒸留器を公然と売りまくり財を築いた人もいたが、何時の世でも要領の悪い奴は臭い飯を食った。
大都会のもぐり酒場の数は雪達磨のように増えていき、禁酒法が布かれる前の数倍にもなっていた。この、もぐり酒場に搬入される酒の量は膨大なもので、国内の密造酒だけでは到底まにあわなかった。また、非衛生な環境で造られる国内の密造酒に飽き足らない上流階級の呑兵衛用には国外の高級な酒を密輸する以外にはなく、イタリヤ系アメリカンのアル・カポネやラッキー・ルチアノの活躍した業界が急成長を遂げることになる。彼らは、考え付く限りのアイデアを屈指して国外からの酒を運び入れ、酒と麻薬と売春の3点セットを売ることにより、国家予算を凌駕するほどの利益を上げることになった。
当時のアメリカの世情はきわめて不安定な時期で、失業率は高く、エンゲル係数は200%に跳ね上がるほどであった。このような世情の中では、良い服を着て光る靴を履いて生きる華やかさに憧れる若者たちが少なくはなかった。一大成長産業のマフィア組織への就職もまた、公平で厳正な関門をくぐりぬけなければならない。この採用基準の主なものは*目上の者への絶対服従*会社の金をネコババしない*自分の稼ぎから所定の金額を上役へ上納できる実力*上役の奥方に手を出さない。という、至極一般的なものであった。ただし、その違反者への罰則の点に多少の違いが見られた。一般社会では職場から追放されるだけですむのだが、彼らの業界では生物界から追放されるのである。
禁酒法時代の初頭、アメリカという巨大市場を失ったフランスのワイン業者は大混乱に陥った。市場崩壊の対策のために深く深く考えたが決定的な解決策は無く、フランス国内やアメリカ以外の国への需要の拡大を図ることに全力を投入した。
考え出されたのは[ワインのグレードアップキャンペーン]であった。このキャンペーンの趣旨は、一般大衆が日常的な飲みものとして無意識に飲まれていたワインを伝統的文化として見直そうというのもので、それまではワインの専門家や一部の通人で語られていたワインに関する奥深い情報をより広い層に提供しようというものである。起死回生のキャンペーンは大成功をおさめ、世界中のレストランや家庭の食卓でワインに関する知識をひけらかすワインスノブを創り上げた。彼らは、急にワインの銘柄や製造年代にこだわり、ワインのマナーなどにもうるさいくらいの流儀を主張するのを待たなければならないで、酒の入ったグラスを手に持っているものの、最初の一杯が胃袋の底に到達するのにかなりの時間を要するよいうになった。例えは悪いが、蛇の生殺し状態であるわけだ。
どのような酒の種類にも伝統的な飲みかたはあるが、そのこだわりのために、その酒について説明されるのには我慢がならない。また、自意識過剰人間に、無言でのマナーの強制をされたくもない。ワインも、たかが酒なのである。酒は、放屁などをしながら気楽にやるのが一番うまい。
古くからワインは、食事の味を引き立てる役目を担ってきたといわれるが、大きな皿にほんの少し料理を載せて目の前に置かれるフランス料理には閉口する。周囲の人が食べ始めたので急いで一口に飲み込んで、また次の料理を延々と待つ苦痛。もう食べるものを出さないのだと諦めかけた頃に、また大きな皿に少しの料理が出てくる。ナメているとしか思われないウエーターの慇懃無礼がまかり通るフラン料理での会食。その料理の持ち味を最高に味わうためにワインを飲むというが、あんな物が料理であるものか。2日分の10時と3時のオヤツを、これ以上遅くはならない限界で並べるだけではないか。あんな場所に二度と行くものか。
ワインには赤と白とロゼとシャンペンの4種類があることを、結婚披露宴の引き出物を点検していて、紙袋の底にあった小短冊を見て知った。また、それにはワインがどのような料理に向いているか等が記載されていた。赤は肉料理、白は魚料理、ロゼは中間でどちらにも合うと書かれているが、主に手持ちの赤と白が切れた場合に、しかたなしに飲むものらしい。
飲むワインの温度も通の人たちの話題に上るものらしい。ものの本によると、シャンペンと辛口の白ワインは5度~8度の間だという。また、甘口の白ワインやロゼは2度~5度が良いという。赤ワインは10度~12度と高い温度だが、これはワインの香やコクを楽しむためらしい。私の食卓に名のあるシャトー物やビンテージ物のワインが置かれることはまずないので温度にこだわること自体が滑稽だと思っている。しかし目安としては、サウナ風呂に入っていなければの話だが、赤ワインは今いる室温と同じぐらいがよい。白ワインとロゼは、飲む1時間ぐらい前に冷蔵庫に入れたものがよいとされている。
赤ワインはその筋の人が高級だと認めたものほど高い温度で飲まれているようだ。ブルゴーニュ物が15度~17度に対し、ボルドーのシャトー物は16度~18度で飲まれるようだが、勿論私には縁のない話である。ドダイ、こんな話し自体を真面目に考えているわけではない。
もし、ワイン通をめざそうとするなら、夕闇迫る頃にタクシーでレストランを目指しフランス料理やイタリヤ料理にたびたび足を運ばなければならない。食事の間は口元に笑みを絶やさず周囲の話を聞き、自分が発言する前にはナプキンで優雅に口元を拭き、つばの飛ばないように小声で話さなければならないだろう。そして、フォークとナイフを床に落とさないように食物を口に運んだ後に赤い液体を少し口に含み、真剣な顔に戻り口のなかのワインを飲み干し、手に持ったグラスに眼を移し和やかな目に戻る事を繰り返さなければならない。その道の通になるのには、これらのことを自分の一般的なライフスタイル内に取り込まなければならないのだ。
ワインなど飲まなくても日本には清酒があり、世界水準に達したビールがあるではないか。また、国産ウィスキーだってテレビのコマーシャルを見た限りではそれぞれのメーカーが世界一だといっている。こんなにうまい酒が溢れている日本国で、なんでワインを飲まなければならないのだろう。
1977年(昭和52年)ロンドンの競売で1806年(皇帝ナポレオン1世即位後2年後)ものの[シャトー・ラフイット・ロットシールド]が14,442ドルで落札された記録がある。正確に日本円に換算する術は持ち合わせていないが、単純に平成17年5月半ばのレートの108円で計算しても1,559,736円である。日本国の江戸時代のレートは知らないが、現在の価値観に照らせば1ドル240円が妥当だろういう人もいるので、倍以上の金額になる。この一年後の1978年アメリカのアトランタでの競売では、1864年ものラフイットが18,000ドルで落札され、記録が更新された。何が悲しくて4合ビン葡萄液にこのような値段が付くのか、西洋人の感性には大きな疑問が持たれるところだ。
かなり昔になるがジョウジ・チャキリスとナタリ・ウット主演のミュージカル[ウェスト・サイド物語]が一斉を風靡したことがある。かなり昔のことではあるが、このウェスト・サイド物語に使われる歌の作曲をした人が[レナード・S・バーンスタイン]という音楽家である。一芸に秀でるものは、他の分野でも特異な才能を発揮することは歴史が証明している。バーンスタインのエッセーにシャトー・ラフィットについてかかれたものがある。ニューヨーク・フィルハーモニーの桂冠指揮者だったことのあるバーンスタインが、14年前に手に入れた1961年もののシャトー・ラフイット・ロットシールド1ケースについての文章である。
ワイン業者が「飲み頃になるまで当店で預かる」という約束でバーンスタインは、ラフイット1ケースを96ドルで手に入れ、そのまま、その酒蔵に預けた。そのことを忘れた頃のある日、ワイン業者から1通の手紙が舞い込む。手紙の内容は「当店で御預かりしている貴殿のワインは、当店で責任の持ちかねる価格となっております。即刻お引取りくださいますようお願い致します」で、預けた当時のワイン業者の主人は昨年亡くなり、今はその息子が主人の座にあった。14年の年月は、ラフイット1ケースを1,200ドルの酒にしてしまったのである。12本で1,200ドルなら、1本100ドル。ワイングラス1杯が10ドル。ほんの一口で79セント。いつもの調子のクイットイッパイが1ドル98セントにつく計算となる。
バーンスタインは、困り果てた末に「先代の御主人が私のワインを預かるときに、飲み頃になるまで預かるということだった。私のワインは、まだ飲み頃には達していないとの結論に達した。したがって、貴殿の父親と私との約束である飲み頃になるまでは、貴殿が預かる義務があるのではないか」と、ワイン業者二世に対し穏やかな申し入れをする。この申し入れを酒蔵の新しい主人は受け入れてくれたが、バーンスタインは、その後のワイン相場の値上がりに一喜一憂するはめになった。
この内容の文書をバーンスタインが書いたのは1973年である。当然のこととして今のレートと異なるので、日本円に換算した金額には差があるだろうが、カビ臭い葡萄液にそんな値段をつけるのは狂気の沙汰であろう。この世は、昔かからズッーと、気の違った人の集まりではなかったのかと、疑うことが時々ある。
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