平成20年6月5日列車内でのジャズ
平成20年6月8日
平成20年6月5日AM8:54に郡山駅から東北新幹線登列車に乗り、身分相応の自由席に座った。上野の東京国立博物館での薬師寺展に展示される日光菩薩像と月光菩薩像の拝観が目的の10余年ぶりの上京である。日頃から仏教や仏像に興味があるわけではなく、この両像が揃って薬師寺外に出るのは初めての事と、重ねて、この平成20年3月25日からの東京展示が、3日後の6月8日までで閉展となるとのことで、大勢の人が押し寄せている映像が流されたことで野次馬根性に火が付いた結果の行動であった。最も、火が付いたのは私の連れ合いの方であったが、特に反対する理由も無かったので後ろについて行った。
最近列車に乗る機会はまったくなかったので、豪華な座席を始めて見る。そこに座り眼の前のマガジンラックにあった[トランヴィール08年6号]という雑誌を手にした。表紙に書かれた[東北、ジャズに酔う旅]の文字が眼に入ったからである。ページをめくると、スナップ用にサックスをくわえた渡辺貞夫氏の幸せそうな姿があった。渡辺貞夫氏は[ナベサダ]の愛称を持つ今年75歳になるアルト・サックス奏者の現役ジャズメンで、50代から80代の人間なら音楽に興味がない人でも記憶の底に名前と顔が残されている人物で、割と人見知りする私でも知っていた。
[トランヴィール08年6号]内の記事は、渡辺貞夫氏と岩手県一関市にあるジャズ喫茶[ベイシー]店主の菅原正二氏との対談がメーンで、即興性と意外性を持つジャズ演奏に関する臨場感溢れるトーク内容は、ジャズのことなどトンとわからない私でさえ引き込まれてしまった。「むかし大都市のいたるところにあった[ジャズ喫茶]は店を閉じ、今や、遠い東北の地に深くその根を張り生きつづけている多くの個性豊かな店が残っているのが救いである」との記述に眼を注がれたからである。
「春は東北ツアーの季節」と75歳のアルト・サックス奏者渡辺貞夫氏がいえば、「貞夫さんが来なければ東北の桜は開かない」と菅原正二氏が話しを継ぐ。
岩手県一関市にあるジャズ喫茶[ベイシー]は、若き日にドラムを叩いていた菅原正二氏の店である。店名[ベイシー]は、アーチスト時代の氏と親交があった今は亡きジャズピアニスト[カウント・ベイシー]の名が由来である。
カウント・ベイシーは明治37年(1904)に生まれ、昭和59年(1984)79歳で亡くなったアメリカのジャズピアニストで、同時代のグレン・ミラー、ベニー・グッドマン等と共にスウィングジャズのビックバンド奏者として広く知られたジャズ界の巨星である。
カウント・ベイシーをはじめ、古き良き時代のジャズプレーヤの演奏になる涎の垂れそうな菅原氏所蔵レコードは50,000枚以上、店に出ているものだけで10,000枚とのことである。菅原氏特製スピーカーから出る音を聞くために、全国の音キチガイとジャズファンが新幹線、在来線、自家用車、場合によっては徒歩で[ベイシー]をめざして来る。そして、この店の居心地を愛する一流ジャズ奏者が、定期的に訪れては思い思いのライブを開き自分でも楽しむための場所だという。
渡辺貞夫氏のベイシーでのステージは、自分の立つ位置の間際まで聴衆を詰めさせる。それが、小さな会場での聴衆と一体感を持つジャズの演奏にはベストな条件だからだという。目の前に厳しい顔をした人がいれば、なんとか自分たちの雰囲気を持ち、その人の好い顔を引き出してやりたいのがジャズ奏者だともいい切る。
菅原氏は「聴衆に居心地のいい場所を提供し、ミュージシャンそれぞれのメッセージを伝える場としての店をいつも心がけている」という。氏は日常生活でもジャズ的な状況を求め、タイミングを重視するという。いいタイミングで自分の前にお茶が出て、自分の前においしいものが出てきて気持ちが盛り上がっていくという状況を大切にしたいともいう。日常生活がタイミングよく進行すると、ジャズをやったような爽快感に浸れるからだ。この延長を、御客様の前に提供するのが自分の役目だといった。
渡辺氏は「仕事をしてくれるな」とメンバーにいうそうだ。仕事をしている音ってつまらない。ハプニングがあり、それに反応し合うのが面白いのだ。何かが起きなければジャズをやる意味が無い。また、聴衆も努力は必要だともいう。好きな曲が始まったら、自然に微笑むとか、少し感性が旺盛な人なら眼を輝かせるとかを自然に表せれば張り合いが出てくる。ジャズの場合、演奏が良かったら曲の途中でも拍手をして良い。いい音を出した時の拍手は、ミュージシャンをどこまでも乗せる効果がある。しかし、手拍子は困る。音楽に手拍子をすることは非常に難しいことで、ビシッと決まる手拍子を打てる人は、いまだかっていなかった。手拍子はその道の一流のプレーヤーの楽器演奏に匹敵する音感が必要なのだ。
演奏する場所に馴れると、その場所の特性を知ることになるので、音が良くなっていく。時間の過ぎるのが早いのでミュージシャンは音楽をハプニングしていくと、渡辺氏は続ける。氏の笑顔が、雑誌の中から私に向けられるような快感が涌く。
渡辺貞夫は昭和8年(1933)栃木県宇都宮市に生まれ、地元の工業高校を卒業後に東京に出て、クラブの従業員の職につく。当時の楽しみは米軍クラブ[フォーリナス]の表に立ち、屋内からのジャズ演奏を聴くことであった。その後に自室に飛んで帰り、タオルを詰めたサックスを取り出し、さっき聞いたフレーズを試みる毎日であった。
昭和28年(1953)20歳の折に秋吉敏子率いる[コージー・カルテット]に入り、2年後にジャズピアノの先駆者秋吉がアメリカに渡ると22歳でバンドリーダーとなる。以後、[モダンジャズの父]といわれた天才的アルト・サックス奏者[チャーリー・パーカー]を原点としたサックス奏法は現在まで変わらず、それは、老若男女を交えた多くのファンを持つ。
菅原氏は、ライブの問合せの電話で「何時から、何時までですか?」と聞かれると「あなた次第です!」と答えるそうである。「あなたがおいでになった時に始まり、あなたがお帰りになるときまで続きます」と云いたかったのだと思った。
およそ音楽に縁の無い絶対音感ならぬ絶対音痴の持主の私でも、はるばる列車に揺られて[ベイシー]という喫茶店を訪ねたくなるような記事内容であった。
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