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5万回切られて死んだ福本清三

平成191125

昔々の私の幼年期には、まだ一般家庭まではテレビは浸透していなかった。走る自動車を見たのも小学校3年の時で、映画を始めて観たのが旅回りの活弁映画なのだから、現代とのギャップにはいまさらながら驚く。それから少し後で[映画と実演]という観劇法などもあった。役者が舞台で芝居をしていて一区切り付くと、突然舞台の天上からスクリーンがドカンと落ちて場内が暗くなる。そのスクリーンに、舞台では表現できない野外部分を映画という形で映し出すわけである。いま思うに、おおらかな時代であった。このころは時代劇映画のチャンバラ場面を、同年代の少年は手に汗を握って見ていた。しまいには映画と現実の区別が付かなくなり、主人公の後ろに悪い奴が回りこみ刀を振り上げようものなら、スクリーンに向かって「後ろ!危ねーぇ!」などと叫んだものだった。

時代劇に登場する好きな俳優は大勢いた。親の敵を切り倒したあと、その地を去っていく画面で、なぜか、歌をうたいなら街道を遠ざかる[高田浩吉]。鞍馬天狗はこの人以外にはやって欲しくないと思ったほどの[嵐寛十郎]。旗本退屈男シリーズで、派手な着物を着て他人に切られた額の疵をすぐに自慢する[市川右太衛門]。丹下左繕役で颯爽とした殺陣を披露したあとで、発音が悪いために台詞がさだかでないことで、さらに凄みを増す[大河内伝次郎]。時代劇の他に多羅尾伴内という変装の下手な探偵が活躍するアクション現代劇のシリーズを持っていた[片岡千恵蔵]。人形佐七捕物帖シリーズで二枚目を演じ、後に東映ヤクザ路線の極道物で三枚目主役の基盤を確立した[若山富三郎]。その他の魅力溢れるスターが、一週間に3本の映画を劇場に供給するために獅子奮迅の重労働を強いられた。この1960年(昭和35年)代の邦画界での東映時代劇は、まさに全盛期にあった。

当時、この時代劇の[東映]の他に、文芸路線の[大映]、都会派路線の[東宝]、「安く、早く、面白く、テスト1回、ハイ本番」が会社方針の[新東宝]、アクションの[日活]、もう一つが[松竹]で、この5つの映画会社もこぞって量産体制で突っ走っていた。

どのような映画でも主役は一人か二人で、物語の中で重要な役にあたる準主役が3人から7人、その人たちに絡む台詞のある出演者が少なくとも20人ぐらい、台詞の無い通行人、商店の番頭や丁稚、行商人、主役に因縁をつけることが役目のチンピラ、水に浮く死体等を演じるそれぞれの人達がいて、初めて一本の映画が完成される。台詞のある男優と女優は、映画会社からそれなりの待遇を受けている場合が多い。この人たちが主役を盛り立て、作品をより印象強く観客の心に植えつける人たちである。そして、台詞のない役者が映画の最底辺を支えることにより、物語に現実味を付け加えるのである。いつの頃からか私は、映画は脇役の確かな演技があって初めて名画となることを知った。

一本の映画の重みから云うと、邦画より洋画の方がより制作費をかけている分だけ、素晴らしい。ストーリーそのものも、より多くの原作の中から映画化権を取得したものの中からさらに厳選し、野心ある脚本家の手で脚本となったものをさらに厳選したあとに、ごく数少ない確立で映画化がなる洋画の虜になるのに、さしたる時間はかからなかった。この、洋画の魅力に取り付かれたのが1960年(昭和35年)頃である。その後の1970年ごろまで、週末は話題作洋画を映画館で楽しむことが続いた。しかし、テレビの普及率が高まるにつれ洋画、邦画共に観客数が減少し、本当に良いものを造らない限り人々は映画館に足を運ばなくなる。1971年に大映が倒産した。

その後は、映画人口が減った分だけ製作本数も減り、俳優その他の映画関係者総てが会社の枠を飛び越えた活動をすることにより、洋画、邦画共に、素晴らしい映画が生まれ続けている。日本の俳優、監督が積極的に海外に眼を向け、いまや、邦画、洋画の壁は無いに等しい。

トム・クルーズ主演の[ラスト・サムライ]に出演した渡辺謙と真田広之が話題になって久しく、数年前にレンタルビデオ屋の棚から持ち帰り、観賞した。物、人員、時間を惜しみなく投入した「ハリウッドの力、いまだ衰えず」を実感する。

[ラスト・サムライ]での画面で、どの場面でも存在感のある俳優に眼を引かれた。この俳優は、どこかで何度も観ている人物であることに気づく。この俳優の名が福本清三だと初めて知った。明治政府軍のアメリカ人軍事顧問役のトム・クルーズが、ある戦闘で反乱軍の捕虜になり、その反乱軍の基地に連行される。その折に、主役(トム・クルーズ)の監視役兼護衛の侍役俳優が福本清三である。数多い彼の映る画面の中に一言の台詞も無かったことから、[サイレント・サムライ]と呼び世界中の映画ファンが賞賛した。

ラスト・サムライでの福本清三の味のある演技に、胸の中で拍手をおくり続けたのは私だけではなかった。福本清三の本が出版されていると聞き、[誰かがどこかで見ていてくれる]を購入、同氏の著書[おちおち死んでられまへん]を予約して帰る。売り切れて在庫がなかったからである。

福本清三著[おちおち死んでられまへん]の巻末に、福本清三ファンクラブ推薦の、福本清三出演作品おすすめリストがある。1959年東千之助主演、美空ひばり出演[鞍馬天狗]を皮切りに、2004年[ラスト・サムライ]までの96本の福本清三出演映画と、211本のテレビ出演タイトルリストが載っている。これは、あくまでも[おすすめのリスト]であるので、その他の出演映画とテレビ番組を入れたら膨大な数になるはずだ。どの出演作品でも、福本清三は刀で切られるか、拳銃で撃たれるか、その他のあらゆる殺人方法で死ぬ役なのである。一つのストーリーでの福本清三の死は、一回とは限らない。切られ役の俳優不足のおかげで、1回切られて死ぬと、カメラの向きが変わると素早く起き上がり衣装を替えて、別の場面での悪役となり再度切られて2回目の死を演じるのである。1960年(昭和35年)前後の日本映画年間観客動員数は約10億人で、その観客に供給するために東映だけで年間100本以上映画が撮られていた。つまり、1週間で2本の映画が撮られて劇場に運ばれていくのである。それらを集計すると、福本清三の切られて死ぬ回数は5万回ぐらいにはなるのではないかと考えられる。

  黙々と切られ役に徹した、俳優福本清三を見ていた者は多い。福本清三ファンクラブ会長の五十嵐マヤ氏なども、スター盛り立て役を演じ続けた福本清三の人間としての魅力にはまってしまった人物なのであろう。氏もまた、本質を見抜く確かな眼の持ち主である。

福本清三に白羽の矢が向けられた映画ラスト・サムライでの寡黙な侍役は、以前から福本清三の潔い演技を高く評価していた内外の映画関係者の推薦によるもだと聞く。この映画が完成し、日本でのプレミアム試写会に来日した主演のトム・クルーズと再開した福本清三が通訳を通して云う。「日本で応援しているから、今後も良い映画を造って下さい」と。トム・クルーズの答えはこうだ。「ノー、清三、あなたこそ素晴らしい俳優だ。あなたこそハリウッドにきて、もっと映画に出るべきだ。向こうで待っているから!」

  けれども、福本清三は今日も撮影所のセットを背に、主役の振り下ろす刀の向かいに弓なりに切り倒された。そして、メークを落とし、衣服を着替え、老サラリーマンのごとく家路をたどる。彼の最大の理解者、奥様の許へ。

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