カトマンズ盆地とベルモンド
平成19年11月30日
ネパールは北海道の2倍弱の面積(14.7万K㎡)のヒンドゥー教の国で、政治体制は立憲君主制(ギャネドラ国王)で二院制の議会を持つ。この国は、カースト制下古代インドの北東の地に当たり、紀元前500年頃に釈迦がこの地で誕生している。この国の北のヒマラヤ山脈の向こうには人口13億人の中国があり、南側には人口10億のインドがある。北と南から二つの核保有国にはさまれているからではないだろうが、人口2,589万人のネパール王国は、非同盟中立を事あるごとに前面に出す外交方針を推し進めている。ネパールの首都カトマンズは、エベレスト登山の玄関口ということで有名であるが、この首都の建物を含む自然が世界遺産としてユネスコの指定を受けた。
標高1,300m.のカトマンズ盆地内にはガンジス河の支流であるバグマティ川等が流れ、モンスーン気候での農業に適した耕地が広がっている。古くからチベット(1965年から中国の自治区)とインドとの交易の拠点となっていたこのカトマンズは、宮殿跡や寺院の数の多いところで、これらと一般国民の住居である街並みも含めての歴史的遺産の認定を受けたのだった。世界遺産に指定されたことにより観光客は押し寄せてはくるが、その地方の自然にとっても、その地の住民にとっても、指定されたことにより失ったものの大切さを今更ながらに思い知らされている昨今ではある。
カトマンズという地名から、1965年(昭和40年)フランスとイタリアの両国製作の映画[カトマンズの男]が、突然思い出される。ストーリはバカバカしいもので、退屈な生活から逃れようと自殺のことばかり考えるフランスの大金持ちの主人公が、世界一周の旅に出る。香港あたりまで来たとき株の暴落で破産したことを知らされる。もともと自殺願望を持つ主人公は、自殺の理由ができたと自殺の準備にかかる。親しい中国人の友人に「死ぬなら有意義に死ね」と200万ドルの生命保険をかけられ、1ケ月以内に殺してやるといわれる。それ以来2人の尾行者がいつも彼の後にへばり付き、常時生命の危険と背中合わせの状況となる。前の約束を取消そうと中国人友人の旅行先ネパールまで後を追うはめとなった。すでに友人はそこにはいず、待ちかまえていた香港ギャングに襲撃される。いたるところで市街戦、アルプスを越え南支那海に脱出、マレー半島のジャングルまで追い詰められが、ギャングには勝つ。しかし、破産宣告が誤報だったことがわかり、もとの退屈な生活に戻っていく。主演のジャン=ポール・ベルモンドは渋い男である。先輩にジャン・ギャバンという御大が先例をつくるフランスという国の映画演劇界では、美男子よりも個性的な男優が人気者になるようだ。
[ジャン=ポール・ベルモンド]は1933年(昭和8年)にフランス、パリ近郊に彫刻家の父と画家の母のあいだに誕生した。演劇学校卒業後、1956年(23歳)頃まで舞台にたち演技を磨きあげた。1959年(24歳)[歩いて、馬で、自転車で、(日本未公開)]で映画デビューした。この年に、当時のトップ女優ミレーヌ・ドモンジョの[黙って抱いて]というロマチックコメディーで、二つ年下の[アラン・ドロン]とお互いに脇役として競演する。不細工な顔のベルモンドと、美男子の代名詞に例えられるドロンは、バイクに跨り主役を盛り上げる若者役であった。この二人の演技を眼にして、その輝き光る才能に気付いた二人の監督がいた。
[勝手にしゃがれ1959年]は、ジャン=リュック・ゴダール監督、ジャン=ポール・ベルモンド主演で大成功をおさめた。筋書きは、警官殺しの犯人(ベルモンド)が、パリにやって来た米国娘に惚れたが、その子の密告により警察に射殺されるというものである。この作品以後のジャン=リュック・ゴダール監督は、ヌーベェル・ヴァーグの騎士として名の成すことになる。ジャン=ポール・ベルモンドもまた、自分に正直な若者の代表として、世界中に受け入れられた俳優である。
[太陽がいっぱい1960年]のアラン・ドロンは、ラブコメディー[お嬢さん、お手やあらかに(1958年)]で、ある程度の評価を得ていた。[太陽がいっぱい]のルネ・クレマン監督は、短期に商業的に収益を得る作品が横行する映画界にあって、個性的なものを職人技で作り続けてきた人である。ルネ・クレマン監督の[禁じられた遊び(1952年)]は、人の心の襞を爪弾くような旋律の主題歌と共に、いまだに世の中高年層に語り次がれている名作である。
ルネ・クレマン監督はデビュー間もない端正な容姿を持つアロン・ドロンという若者の深いところにある暗い部分に眼を注いだ。かくて、友人である大富豪の息子を殺害し、その友人に成りすまして贅沢の限りを尽くす若者をドロンに演じさせた。殺害した友人の恋人まで手に入れた若者役にアラン・ドロン配した[太陽がいっぱい]は、世界中で大成功をおさめた。このアラン・ドロンとリノ・バンチュラが競演して大ヒットを飛ばした[冒険者たち(1967年)]がある。人気絶頂のドロンを完全に喰ってしまったのが当時48歳の渋いおじさんバンチュラである。
[リノ・バンチュラ]は、1919年(大正8年)に生れた。1950年にボクシングでヨーロッパチャンピオンになったが、事故で再起不能になり俳優となった変り種である。フランス切っての性格俳優である彼は、ギャン・ギャバン主演の[現金に手を出すな(1954年)]ではギャバンの盛り上げ役であった。このリノ・バンチュラは[太陽の下の10万ドル(1964年)]ではベルモンドと競演する。モロッコの運送会社にナイジェリアへの荷物搬送の話が来る。その積荷が10万ドルの武器と知り、ベルモンド扮するトラック運転手が強奪することを考える。それを知った運送会社の経営者が阻止しようと後を追う。追いつ追われつの果てに、何者かに横取りされてしまう。何もなくなってしまった後の二人の壮絶な殴り合いは延々と続く。
[ラムの大通り(1971年)]では[ベラクルスの男]以来のバンチュラが渋くて爽快な主人公を演じて大ヒットする。アメリカ禁酒法下の1920年代、カリブ海のラム酒密輸ルートをこの業界では[ラムの大通り]と呼んでいた。バンチュラ扮する密輸船の乗組員が、ブリジット・バルドー扮するハリウッドの女優に恋をしたことから数奇な運命をたどる物語である。
現代に残る数々の名画に出演したリノ・バンチュラは、1987年10月23日この世を去った。粋で、あくまでも渋い67年の生涯であった。
[ジャン・ギャバン]は、1904年(明治37年)に、俳優の父と歌手の母のあいだに生れた。父の紹介で19才頃から舞台に上がり演技を磨き、1935年(明治10年)の[地の果てを行く]に出演して人気を得る。その後の出演作品で数々の話題を生み、50歳のギャバンは[現金に手を出すな(1954年)]に主演し、老ギャングを渋く爽やかに演じた。この映画で競演した15歳年下のリノ・バンチュラとは生涯を通し無二の親友で、別れた元妻との間にできた娘の結婚式の介添え役をバンチュラがかってでるほどであった。晩年はジャン=ポール・ベルモンド、アラン・ドロンらの引き立て役に徹し、何時の場合にも、譲ることのできない誇りと友情を重んじる男を演じ続け、1976年72歳の生涯を閉じた。
今考えると、タイトルに[カトマンズ盆地]を持ち出す必要はなかった。この文は、男としてはこうありたいと思っても実行することが不可能な別の人生を、自分自身に代わって演じてくれた俳優達を回想しただけである。燻した銀のように渋く、役に合った衣装をお洒落に着こなし、魅力ある声と表情で語りかけてくれた大昔の俳優達をふと思い出すことがある。思い出したとしても、そのことを語る人はいない。
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