草野心平が富士山とうたっている
平成20年5月18日
私は不動産関係の仕事に携わっている。お金の勘定は苦手で、それにまして物を売る技術はすこぶる低いレベル上にある。必然的に楽な暮らしには縁が薄く、結果的につれあいは時々ボヤク。
御客様に不動産売買の御世話をするのには、その御客様に売買契約をして戴く必要がある。御契約を戴くためには、その母体となる現物を御見せしなければならない。御見せするためにはその不動産を御客様の自宅に運び込むわけにはいかないので、その所在地に御案内する必要がある。この現地案内業務が営業マンの労力の一番重い部分である。
関東圏に住む御客様が勤務先の停年退職等を期に、第二の人生をすごすために東北地方や信越地方へ眼を向けられることが多い。東北地方の場合、東京に近い福島県の人気は高い。青森、秋田、岩手県のような所に入り込むと、関東圏に残る子供たちのところまで引き返す時に手数がかかるとの理由からである。
福島県の中央を南から北に流れる[阿武隈川]があるが、この大河と平行して東側に[阿武隈山系]が横たわっている。この山系の村々に住みたいという人たちが多く、現に多数の人たちが各町村に移り住んで地方での生活を嬉々として堪能している。空気と水が美味しく、塵埃の少ない大気を通しての夜空には、アンドロメダ銀河の渦巻きさえ肉眼で見えるほどだからである。人間にとり、これ以上のものは何も必要ではないのだ。もっとも、有っても邪魔にはならないお金を別だ。
私が神奈川県在住のN・K氏とお逢いしたのは今年(H20)2月であった。福島県田村郡内の町村がつい最近合併して田村市となった。そのなかの寂れた集落のはずれにある土地建物への2度目の御案内時は、列車でおいでになった氏を[郡山駅]までお迎えし、片道1時間の距離を車で往復した。3月なかばのことであった。
車中の会話で「田村市の隣の川内村に草野心平の[天山文庫]があり、毎年7月16日にそこで催される天山祭に来ているうちに阿武隈山系の自然が好きになった。それから、暇を見つけては夫婦でこの付近の山に登り、引退したらこの地方に住みたいと考えていた」と、話された。実は、私もまた草野心平の詩とその生き様に傾倒している一人で、話は限りなく続き、ややもすると自分自身の仕事を忘れてしまうほどであった。
草野心平は、明治36年(1903)福島県いわき市小川町で生まれた詩人で、さまざまな土地での職業遍歴の中で詩作を続け、壮大で、繊細で、ニンゲン臭い数え切れぬ作品を残した蛙である。氏の故郷のいわき市小川町にある[草野心平記念文学館]には年間を通し、素朴な文体の中に快い切れ味を持つ詩や小説や随筆を慕う大勢の少年少女、青年男女、壮年二人ずれ、そして若くして草野心平に触れ、今にいたった老年のファンが後を絶たない。
一方、草野心平は、昭和28年に福島県双葉郡川内村の平伏沼にモリアオガエルを見にいき、3年後にこの平伏沼畔に歌碑が建立されたことを記に川内村の名誉村民となる。そして昭和41年、草野心平の名誉村民の章として[天山文庫]が建設され、氏を慕う大勢の人々が四季を通し川内村の村道奥に分け入ってくる。N・K夫妻は、特に草野心平の富士山をうたった詩を好まれる様子であった。
[富士山 作品第参] 草野心平詩集から
劫初(ゴウショ)からの。
何億のひるや黒い夜。
大きな時間のガランドウに重たく座る大肉体。
ああ自分は。
幾度も幾度もの対陣から。
ささやかながら小さな歌を歌ってきた。
しかもその讃嘆の遥かとほくに。
遥かとほくに。
ギーンたる。
不尽の肉体。
厲(ハゲ)しい白い大精神。
誰知らぬ者のない富士山は、70万年(旧石器時代初頭)に噴火活動が始まり、紀元前1000年頃までに6回あまりの大きな噴火のあと、ほぼ現在の容姿が形成された。そして、その後にも数十回の部分的噴火や噴煙が続く底力を秘めた現役の活火山である。
富士山頂の海抜は日本一の3776.224mで、この秀麗さは広く世界的に知られ、多くの絵画や文学の題材となっている。この優美な姿を草野心平の目と心で見つめると、他の先人と異なる独特の神々しさが加算され、極力短い文章の中に富士山の内なる姿を描き切っているように思える。
[富士山 作品第拾質]
千年万年億年ののち。
何十何百億年のはて。
地球の生物は悉(コトゴト)く死ぬかもしれぬ。
樹木も草も鳥も蛙も人間も。
或ひは悉く苔もなまこも死ぬかもしれぬ。
青い氷のギザギザや襞(ヒダ)。
すべてはそんなに変わってしまふ。
しかしながらその後もしばらく富士はするどく坐っている。
火の時代にもなかつたなんたる凄い美しさだろう。
日本民族の幽霊は。
そこに集まり氷結し。
白い炎を。
頂にふき。
天はしずかにこの宗教を見におりてくる。
[草野心平の詩を読むと、人間が好きになる。
会ったこともない人たちも、遠い村、遠い国に住む人たちも、今は亡き人たち、これから生まれくる人たちを含む人間全体が好きになる。
そして、人間のつづきとして動物も植物も、だから地球も、だから宇宙も。
草野心平は蛙の詩人、富士山の詩人と呼ばれているが、そんないいかたでくくれるような詩人ではない。私は心の中で彼を「ニンゲンの詩人」と呼んでいる]
上記の文は、生前の氏と親交のあった詩人[吉原幸子]が書いた草野心平詩集巻末解説の中の文節である。
私の御客様N・K氏は、阿武隈山系の小集落はずれの古い農家住宅に興味を示され、通算3度も足を運ばれた。御家族の反応もわるいものではないが、住宅内外の改修費用の点で思考の限りを尽くされている。
田舎道を一諸に走行しながら、愛すべき蛙の家族の話や、1億年近く前から存在する富士山の話をした人に対し、私は早急な返答を迫るつもりはさらさらない。ここはひとつ、かっての草野心平がはぐくみ、もちつづけた、十億年の孤独を味わうのには良い機会かもしれない。
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