ハヤオとタニエの[となりのトトロ]
平成22年8月11日
宮崎駿(ミヤザキハヤオ)監督作品の[となりのトトロ]が平成22年7月23日(金)のテレビ放映で平均視聴率20.2%だったという。このアニメ映画は劇場用に製作された昭和63年(1988年)4月16日に東宝系で[火垂の墓]との二本立で公開され、延80万人が入場して5億9千万円の売り上げがあった。しかし、この二本立公開の成績は、スタジオジブリ製作映画としては14番目の売り上げで、[千と千尋の神隠し(平成13年公開)]の304億円を筆頭に11番までが二桁代の売り上げというヒットメーカーの作品としては予想外の成績であった。
統計が当てにならないことは古来から変わることなく、劇場上映で予想を大きく下回った[となりのトトロ]が平成元年(1989年)4月28日のテレビ初放映時に21.4%の視聴率を記録したのだった。それ以来は子供たちの夏休みの定番となり、今年の夏までの21年間に12回の放映で平均21%を超える視聴率を上げている。21.4%という数字は「NHKの昨年の大河ドラマ(上杉家の家老直江兼続の生涯を描いた天地人)の平均視聴率と同じもので、民間局にとっては大変な数字だ」と、テレビ関係者がいっていた。
「子供の澄んだ瞳と、週末の晩酌をやりすぎて血管が浮き出た大人の目ン玉をテレビ画面に釘付けにするアニメ映画を製作する企業[スタジオジブリ]とは、どのようなものなのだろうか」また、「昭和16年(1941年)1月生まれの、黒いゲジゲジ眉毛の下の哲学者然とした眼に黒縁眼鏡を貼り付け、顎鬚と口髭と頭髭が真っ白な宮崎駿という男とはどんな人物なのだろう」ということが、いつも頭の隅に張り付いていた。
宮崎駿は昭和16年1月に東京府東京市(この当時の東京は[都]ではなかった)に生まれ、当時の緊迫した社会情勢(11ケ月後に太平洋戦争開戦)の中でも、一族が経営する優良企業の役員の次男として生まれた彼は、恵まれた幼年期を過ごした。
彼の小中高というひ弱な少年期をバッサリと飛ばして、最終学歴の学習院大学政経学部卒業以後の経歴は以下の通りである。
大学卒業後は東映動画にアニメータとして入社し、数多くの動画を手がける。しかし、東映で製作される作品を好きになれず、自分に合ったアニメーションの世界を築こうと同士を募り大作に挑む。のちの[スタジオジブリ]立ち上げ以後の盟友となる高畑、森、大塚らとともに昭和38年(1965年)から3年がかりで[太陽の子ホルスの大冒険]を完成させる。
昭和46年(1971年)東映動画を退社し、外国の物語をアニメ化する目的で[Aプロダクション]に入社するも、版権の問題で実現せず。
低調だったTVアニメ[ルパン三世]の演出を引き受け、その後の[ルパン]の登場人物とストーリー展開の基礎となる方向付けをする。
昭和49年(1974年)TVアニメ[アルプスの少女ハイジ]で、全カットの場面設定と場面構成を担当した。これは、他のスタッフとともに1年6ケ月間の平均視聴率26.9%という驚異的な成績を収めた。宮崎駿としての最初の大きな実績となった。
以前関係した[ルパン三世]の各登場人物の性格が一新されて人気が出ていた時期、そのTV担当者から劇場用映画化の話が舞い込む。駿は「ルパンはもう過去のものだ」と乗り気ではなかったが、その担当者大塚との兄弟以上の交流のこともあり、それを引き受ける。
昭和54年(1979年)宮崎駿の第一回監督作品となった[ルパン三世カリオストロの城]が公開されたが興行的には不振で、それ以後の一時期の活動に大きな影響を及ぼした。しかし、その後にTVで放映され、さらに再放映に続く再放映が続くも高視聴率は持続し、これさえ出せば高視聴率が約束されるアニメーション界の金字塔だとの評価を受けた。
宮崎駿の以前からの精力的活躍と、その映画作家的なセンスに注目していた者がいた。徳間書店の[アニメージュ]誌編集長の[尾形英夫]だった。彼は短編アニメーション映画の製作話を駿に持ちかけた。原画つき企画という話題性を煽るために、事前に宮崎駿の漫画[風の谷のナウシカ]を昭和57年(1982年)2月号から自分の雑誌に連載する策にでた。
昭和59年(1984年)に公開されたアニメーション映画[風の谷のナウシカ]は91万人の入場で7億6千万円の売り上げだった。
昭和60年(1985年)徳間書店の出資を受けて[スタジオジブリ]が設立されたが、最初と二作目は興行的には振るわなかった。しかし平成元年(1989年)の[魔女の宅急便]が、264万人の観客を暗い映画館の椅子に釘付けにし、21億5千万円の売り上げを記録した。
平成9年(1997年)の[もののけ姫]は1420万人を動員し、興行収益193億円を上げる。これは、スティーブン・スピルバーグの[ET(イーティー)]の興行収入を15年ぶりに塗り替える快挙であった。
さらに平成13年(2001年)公開の[千と千尋の神隠し]が2350万人を動員し、304億円の興行収益を上げて日本映画史上の1位に輝いた。そして、これが平成15年(2003年)度の米国アカデミー賞長編アニメーション部門作品賞を受賞したのだった。
平成16年(2004年)公開の[ハウルの動く城]でも、米国アカデミー賞長編アニメーション部門作品賞にノミネートされ、宮崎駿の名は国外にもジワリ、ジワリと浸透していった。
そして駿は、平成17年(2005年)のヴェネチア国際映画祭で世界的映画人に贈られる[栄誉金獅子賞]を受賞した。さらに、さらに平成18年(2006年)には、アメリカ映画界最高の名誉とされている[アカデミー賞選考委員]に推薦された。
駿がアカデミー賞選考委員に推薦されたのは3度目だが、今度も「創作活動に専念するため」の理由で辞退している。金持ちが自分の金を溝に捨てようが、銀行襲撃が失敗して金庫の中のゲンナマが丸焼けになっても「モッタイナイ・・・」等と思ったことがない私だが、ことアカデミー賞選考委員を辞退したことに対しては言葉を失った。
しかし私は、「何を考えているのだ駿のバカは!。自分が現場で口を出さなくとも、お客を呼べるアニメ映画を造る者は周囲にいるだろう。いなければ後進を育て得なかったアンタが馬鹿なんだよ!。選考委員になったら各賞にノミネートされた並み居るスター連中からのゲンナマ入りの厚みのある菓子折りが届けらることを知らないのか!」などと、ハヤオに絡んでくる人がいたとしたら、命を張ってでも、たしなめなければならないと思っている。
今回のテレビ放映は観ていなかったが、[となりのトトロ]のあらすじの概ねは、このような内容だったと記憶している。
[今(平成22年)から50年以上も昔の5月のある日曜日、小学6年生(12歳)のサツキと4歳のメイの二人の女の子が、お父さんと一緒に郊外の大きな家に引っ越してきました。そのころ使われていたオート三輪に積まれた荷物が次々に運び込まれるのを手伝いながら、大きな家の中を探検するメイの前に真黒なイガグリのような[ススワタリ]の群れを見つけて、お父さんさんに知らせるのですが、大人のお父さんの眼には見えないのです。古い家に住み着いている小さなオバケの[ススワタリ]を見ることができるのは子供だけなのです。メイに追いかけられたススワタリは、ワレサキにと古い壁の穴に隠れてしまいました。
二人の女の子のお母さんは、隣町の[七国山病院]に病気の治療で入院していて、まもなく退院する予定です。お母さんの病気には空気の綺麗な田舎に住むのが一番よいので、ここに引っ越してきたのです。お父さんは「小さいころからオバケの出る家に住むのが夢だった」と、この家を気に入っているので、サツキとメイもこの広い家を好きになりました。
ある日メイは、家の近くで不思議な生き物と顔を合わせます。メイは自分が興味を持ったことには集中して突き進む性格で、不思議な生き物をどこまでも追いかけていきました。小さな生き物はメイから逃げるのに懸命で、家の裏側の藪の中に飛び込んでしまいます。メイが恐る恐る藪の中を覗くと、そこにはメイが立って歩けるほどのトンネルになっていました。どんどんどんどんトンネルの奥に逃げる小さな生き物を追いかけて進むと、急に暖かいジュウタンの上に出て足をとられ転んでしまいます。メイがジュウタンの中から顔を上げると、長い綿毛の中から顔出した二人が笑いかけていました。それが小トトロの[ミン]と中トトロの[ズク]で、これがメイとの最初の出会いだったのです。
周囲を見回すと大きな大きなクスの木の根元の穴の中で、ジュウタンの端が急にムクリと動いて大きな顔がメイを見ていました。ジュウタンだと思っていたのは大トトロ[ミミンズク]のお腹の上だったのです。大トトロは笑いながら「クスグッタイゾー」というと、また顔が見えなくなって大きなイビキが聞こえてきました。
小トトロの[ミン]と中トトロの[ズク]は、遊びつかれたメイを家の裏側まで送ってきてくれました。夕飯の時に眼を輝かしてトトロのことを話すメイを見て、お父さんとサツキは「メイには素敵なお友達ができたんだね」と、その話を信じてくれたのです。
[ミン]と[ズク]はメイが一人になると出てきて裏の藪の中にさそい、いつも大トトロの寝ているお腹のうえで楽しい時間をすごすのでした。
夏のある日の夕方、急に大雨になってきました。時計を見るとお父さんの帰る時間が近づいてきたので、サツキは傘をもってバスの停留所まで迎えにいきました。バス停に来たころは暗くなり、雨も激しくなる一方でした。サツキの隣に誰かが近づいてきたので良く見ると、メイが話していた大トトロだったのです。ずぶぬれのトトロにサツキはお父さんの傘をわたすと、ニコッと笑って傘を開きサツキと並んでバスを待っていました。
「どこに行くのですか。バスはここが終点ですよ」と話しかけると、トトロは「わしが待っているバスは別のバスで、わしのすみかまでいく特別なバスじゃよ」トトロが話し終わったとき、金色に光るライトが暗い雨の向こうから近づいてきてサツキとトトロの前で急ブレーキをかけて止まりました。
バスだと思っていたのは大きなネコで、ランランとひかるライトはネコの目玉だったのです。ボンネットが頭で、背中が空洞で胴体が柔らかな客席となっています。トトロはサツキに借りた傘を返して猫バスに乗り込みました。ものすごいスピードで発進した猫バスは、12本の足で電線の上を走り去って、すぐに姿が見えなくなってしまいました。
やがてお父さんの乗ったいつものバスが停車し、手お挙げながら下りてきました。雨の中の帰り道、トトロのことを話そうかどうか迷いましたが、サツキは最後までお父さんには話さなかったのです。なんとなく、トトロのために秘密にしたほうが良いと思ったからです。
夏休みに入ったある日、病院から電報が来てお父さんが急いで出て行きました。サツキとメイは、お母さんの病状が悪くなったからだと考えました。メイは心細くなって大声で泣き出してしまいました。サツキが皆の衣服の洗濯をしている隙に、メイはトウモロコシをお母さんに食べさせれば病気がなおると思い、カンタのおばあちゃんから戴いたトウモロコシを抱えて一人で病院に歩き始めました。
サツキはいなくなったメイを必死に捜し回りましたが、どこにもいないのです。そのサツキの姿を見た同級生の男の子のカンタも、方々の家を聞きまわってメイを捜してくれました。カンタはサツキにいつも意地悪をするので、あまり口をきかなかった男の子です。カンタとサツキが、どこを捜してもメイは見つからず、誰に聞いてもメイを見た人はいないのです。サツキは疲れて動くこともできませんでした。サツキはトトロの力を借りようと、最後の力をふりしぼって茂みのトンネルを走ってトトロのクスの木の根元にある巣にたどり着きました。
サツキの話を聞いたトトロは、サツキを抱き上げると大クスの木のてっぺんにかけ上がり、ネコバスを呼びつけました。西の山の陰のほうに小さな豆粒のようなものが現れたと思ったら、それがどんどんどんどん大きくなりネコバスの姿になって、電線や杉の木や松ノ木の上を走りよってきました。サツキとミンとズクもネコバスに乗り込み、最後に乗ったトトロが合図するとネコバスは急発進しました。ネコバスが8本の足で空を駆け抜けると、木の幹や枝や大きな鉄塔さえもネコバスの邪魔にならないようによけて道をあけてくれるのです。
やがてトトロが指差したお地蔵さんの傍で眠っているメイを見つけました。ネコバスはメイのシャツをゆるくくわえて持ち上げトトロに手渡しました。トトロは膝の上にメイを乗せて揺り起こしました。目がさめたメイは、サツキとミンとズクの顔を見ると大きな口を開けて泣き出してしまいました。トトロがネコバスに行き先を告げると、ネコバスの額にある行き先幕がまわり[七国山病院]に変わりました。その病院にお母さんが入院しているのです。5人を乗せたネコバスは、電線を飛び越え橋の欄干を走り、田んぼや川の水面すれすれに猛烈に走り続けました。そして最後に空に舞上がったネコバスの中から覗いているメイやサツキやミンやズクの下に、病院のある町の光が見えてきました。
ネコバスは病院の庭のイチョウの木のテッペンに停車しました。そこからお父さんと話している元気そうなお母さんの姿が見えたのです。サツキとメイとトトロとミンとズクは一本のイチョウの木の枝に座り、笑いながら話しているお母さんとお父さんの姿を見ていました。
トトロは二人の会話が聞き取ることができるので、今日来た電報の意味を皆に説明しました。お父さんと連絡が取れない病院のお医者さんが、思い余って電報を打ったのです。お母さんの退院が近いので、そのための必要な書類をお父さんに書いてもらう必要があったためだったのです。メイとサツキの顔を見ていたトトロは、ズクにうなずきました。ズクはメイが握っていたトウモロコシを受け取り、病院の屋根に飛び移りその下のお母さんの病室の窓の外にそれを置いてきました。
窓の外に近づいたお母さんとお父さんの目には、ネコバスもトトロもメイもサツキも見えないようにトトロの魔法がかけられています。
「まあ・・綺麗なお星様。もうすぐメイやサツキと一緒に暮らせるのね!二人ともお利口にしているかしら。お父さん早く家に帰ってくださいな。メイとサツキは、あなたがいないから、きっと心細くなっているはずだから」と、お母さんの声が聞こえてきました。
「あら!こんなところに大好きなトウモロコシがあるは!だれが持ってきたのかしら」
メイはうれしくて声を出しそうになりましたが、トトロは「シー」と口に指を当てて「メイもサツキも家にいることになっているのだから、おかあさんを驚かせてはいけませんよ」
5人はまたネコバスに乗りこみました。トトロが合図すると、ネコバスもうれしそうに空高く舞い上がり、星に届きそうなところを走り始めました。空高く走ったのは、5人のための特別なサービスだったのです。ネコバスの走る空の上からは楽しい笑い声がいつまでも聞こえました]
どうも、映画とは違う筋書きになってしまいましたが、大トトロは許してくれるだろう。
「どのような物語でもその本質を左右するのは、決められたテーマに沿って筋書きを展回させる複数の登場人物の行動であろう。それらの登場人物には綿密に計算された性格を注入されていなければならない」と、ある文芸評論家がいっていた。
[となりのトトロ]の各登場人物の性格が確りと固められて、その声を担当する各声優の発する台詞により生き生きと物語が進行する。大勢の人々の力が集約されて、それを観た子供たちとお母さん方の優しい心が、溢れ出すような作品となっているのであろう。
[日高のり子嬢]は、小学6年生の女の子サツキの声を担当しているが、今年(2010年)48歳になる苦労人である。そして、サツキの純真な声を発するだけあり、トッテモ美人である。きっとサツキが大人になったら、彼女のような芯の強い美人に成長するはずだ。
[坂本千夏嬢]は4歳の女の子メイの声を担当している。探究心旺盛な可愛いメイの声を出す彼女は、現在40歳代の終わりを過ぎた妖艶な雰囲気を持つとびきりの美人である。アニメの中でのメイが泣き出すシーンに出会うと、同世代の子供を持つお父さんはキット、わが子を強く抱きしめたくなるであろう。しかしお父さんは、間違っても声優の千夏嬢の方を抱きしめてはいけないのだ。
[高木均(ヒトシ)氏]は、温厚なトトロの声を担当しているが、もともとは昭和32年の三船敏郎と山田五十鈴主演の[蜘蛛巣城]に警護の侍役で出演しているような古くからの映画俳優で、その後は、モッパラ悪役を担当して観る者の背筋に氷水をブッかけていた。氏は昭和24年に生まれて、平成16年に55歳で亡くなられた。
[北林谷江嬢]は、私がズゥーット昔から大好きな女優で、ここでもおばあちゃんの声を担当している。「ここでも」とという言葉を使用するのは、彼女は41歳の昭和27年ごろから老け役ばかりが続いているので、当然のこととしておばちゃん役やおばあちゃんの声の出演依頼しか入らないからである。
[となりのトトロ]の声の出演でのおばあちゃんは、4歳のメイを可愛いがりいろいろな食物をメイとサツキにあげる優しいおばあちゃんで、サツキの同級生のカンタのおばあちゃんでもある。メイは、おばあちゃんの作る甘いボタモチが大好物である。
北林谷江嬢は明治44年に昔の東京銀座界隈の酒屋の長女として生まれ、20歳の昭和6年に新劇の世界に入る。25歳の昭和11年には新協劇団で、後の舞台人の元締格となる[宇野重吉]、[滝沢修]、[小沢栄太郎]らと一緒の舞台を踏む。これらの人々と、39歳の昭和25年に劇団民芸設立に参加して、その後の劇団の中心的役割を果たしながら映画、テレビ等に数多く出演する。どうゆうわけか、映画やテレビからの出演依頼は底辺に生きる老婆役ばかりで、マスクに多少自信を持っていた本人をくさらせた。となりのトトロの声の出演時の彼女は77歳だったが、胸の奥には20歳当時の情熱が渦巻いていた。
北林谷江嬢が79歳の平成2年に撮った[大誘拐]では、誘拐されたおばあちゃんが気の弱い誘拐犯を叱咤激励の末に主犯に滑り込み、自分自身の開放と引替えに100億円の身代金を要求して、それを手に入れるという筋書きの映画で日本アカデミー賞主演女優賞を頂戴する。
その後に2本の映画に出演したが、92歳の平成15年以降は、テレビ、映画からの数多い出演交渉を断り、平穏な余生を楽しんだ。
北林谷江嬢は、平成22年4月27日98歳で亡くなられた。
平成22年7月11日に北林谷江嬢のお別れ会が開かれた。
壇上には彼女の主演で448公演を達成した[泰山木(タイザンボク)の木の下で]の一場面の遺影が飾られていた。
これは、生前の彼女が「私に何かあったときには、これをね!」と、いっていたパネルらしい。
劇団民芸代表の大滝秀治氏(85歳)と奈良岡朋子嬢(80歳)が心よりの弔辞を捧げられた。せめて、このお二人にも、もっともっと長生きをして戴き、本物の役者魂を余すことなくこの世に展開し尽くして欲しいと願うものである。
タノンマス!
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