レオナルド・ダ・ヴィンチの潜水艦
平成20年12月7日
世のなかには数えきれないほどの天才がいる。今年も、各分野のノーベル賞受賞者が発表になった。今年の我が国は、物理学賞3人、科学賞一人という快挙をなしとげた。何かと嫌な事ばかり耳に入る御時世での南部陽一郎氏、小林誠氏、益川敏英氏、そして下村脩氏の受賞の朗報は、同じ同胞として鼻がたかい。しかし、彼らの発表した論文に共通した欠点は、その内容があまりにも専門的すぎることにある。
あまたの歴代ノーベル賞受賞者と比較はできないが、人類史上の天才の中でも、556年前に生まれたレオナルド・ダ・ヴィンチは群を抜いているように思える。1519年67歳でなくなるまでのダ・ヴィンチの創作による名画の数々は、現在もなお人類に深い安らぎを与え続けているからである。
1490年(大航海時代の真っただ中のころ)当時のダ・ヴィンチの、日常の中での思い付きを描きとめたスケッチや克明なメモが残されているという。一説によると、このダ・ヴィンチのさまざまな分野の研究記録ノートは13,000ページに及ぶといわれている。
ダ・ヴィンチノートのなかで得に有名な[ウィトルウィウス的人間]は、当時発見された古代ローマ建築家ウィトルウィウスの[建築論]の中にある「人体は円と正方形に内接する」という理論を、プロポーションの法則としてダ・ヴィンチ自身の裸体を紙面に描いて証明している。
「両腕を広げた場合の長さは背丈に等しい。身長が14分の1だけ低くなるように両足を広げ、さらに両手を伸ばして中指が頭のてっぺんと同じ高さまで挙げる。このように伸ばした手足の先をよぎる円を描くと、その円の中心にこの人の臍(ヘソ)が来る。また、両足の先の間隔と両足は正三角形を作る。」というものである。
私も自分の身体を同様に測ってみた。何度も慎重に計測したのだが、肥満体で、O脚の持ち主で、右手の中指を突き指したことのある体型の場合には、この[プロポーションの法則]が当てはまらないことを証明したにすぎなかった。
現代の高校生が粗末に乗りまわし使い捨てにしている自転車は、1820年にジェムズ・スターレーにより考案されたが、この自転車の原型はその330年以前のダ・ヴィンチノートに描かれている。そのほか、ヘリコプターの原理、パラシュートの原理、飛行機の原理、時計の原理などがスケッチ入りで説明されている。
何を考えたものやらダ・ヴィンチは、草刈鎌が馬車の上で回転して戦場の敵を切りきざむ殺人馬車、弓矢を連続発射できるガトリング銃式の洋弓、巨大な鉄製ドームを被せた8人乗り人力戦車などの戦闘用武器なども数多く考案している。驚いたことには、第一次大戦中にドイツ軍が改良開発した潜水艦の原型のような船のスケッチまであった。
ダ・ヴィンチの生きた時代にも、鳥のように自由に空を飛ぶことと、地上をより早く移動することへの憧れを多数の人々が持っていたことが想像できる。そして、魚やクジラのように深く潜り高速で泳ぐことも、人類の憬れの一つであったのであろう。
潜水艦とは水中潜航可能な軍艦であるが、最初の潜水艦としてのアイデアはアメリカの独立戦争当時の一人乗り人力推進装置装備の[タートル潜水艇]だといわれている。このアイデアは良かったのだが敵艦を沈めるほどの活躍はなく、実戦投入前の訓練時に溺れそうになった者が続出したことなどもあり計画は挫折した。
アメリカ人のどこかに潜りたいという欲求は根強く、南北戦争当時の南軍側が建造した[人力推進潜航艇ハンリー]は、1864年(明治の4年前)に北軍の蒸気帆船をまぐれ当たりで撃沈した。これが潜水艦史上の最初の戦果となった。
1900年初頭のイギリスは海軍大国であった。資源、物資に恵まれない島国イギリスには、調子の良い二枚舌外交でかすめとった植民地が世界中にあった。そこからの物資を国内に運びこむ海上ルートを守るためには、大きな海軍力が必要だったのである。
一方、第一次世界大戦に突入した大陸国のドイツは、イギリスと事を構えた以上はイギリスの象徴シーレーン分断が効果的作戦だと悟った。けれども哀しいかな、ドイツの軍艦保有数はイギリスの35%で、軍艦どうしでドカン・ドカン撃ち合う正攻法ではまったく勝ち目がなかった。
第一次世界大戦の開戦直後の1914年(大正3年)ドイツ帝国のUボートが英巡洋艦4隻を撃沈したことに力を得て、この航洋潜水艦の大量建造に踏み切った。そして、イギリスへの荷物満載の輸送船団にこっそり忍び寄り撃沈し、またこっそり姿を消す作戦をくりかえすことになった。
1944年(昭和19年)以前の初期潜水艦は、潜航するときにメインのディーゼルエンジンが使用できなかった。ディーゼルエンジンは大量の酸素を消費するため、艦内酸素を食いつくし、クルーが窒息死してしまうからである。クルーが死んでは戦争にならないために、潜航時だけは酸素を喰わない電気モーターに切りかえた。
電気モーターによる潜航推進速度は4ノット(時速7.4Km)と、幼稚園児の遠足のように極めて遅い。さらに、一回の充電で1日半しか潜れない。これでは商船を撃沈しても駆逐艦に37時間追跡されれば電池切れで操作不能になる。すなわち、直前で水面に浮上しなければクルー全員死ななければならない。双方にとり、なにかと苦労の多い戦争であった。
第二次世界大戦時での標準的な潜水艦も、改良型ドイツ潜水艦UボートVⅡC型であった。これは、全長67m、幅6mの狭い空間に、ディーゼルインジン燃料(重油)114ton、食料3.5ton、真水2.2ton、魚雷14本が詰め込まれ、その他の余った艦内空間に44人のクルーが寝起きすることになるので、閉所恐怖症の持ち主には適さない空間であった。
UボートVⅡC型の装備は、主力ディーゼルエンジン2基、出力2800馬力、潜航時動力の電気モーター2基(750馬力)で、水上航行速度17ノット(時速31m)、潜航時は7.6ノット(時速14m)である。
潜水艦のなかのでの生活は過酷なものである。真水は貴重品なので風呂が無い。密閉された艦内は湿っぽいので何でも良く腐る。なかでも野菜は一番先に腐敗するので、クルーは慢性的ビタミン不足により、ちょっとした引っ掻き傷なども治りにくく、最悪の場合には手でも足でも切断しなければならないほど悪化する。そんな艦内には医者は一人もいない。理由は、Uボートクルーの生還率は30%で、70%の者が死に早々に海の中に放り出される。そのような場所に貴重な医者を投入できないというわけである。
第二次世界大戦時のUボートもまた、連合国側の輸送船を攻撃し補給路を断つことを目的としていた。その成果は1月に75万tonもの船舶を撃沈するにおよび、強気な当時のイギリス首相チャーチルに自国の敗北を予感させるほどであった。
しかし、1943年(昭和18年)あたりからUボートの撃沈数が月当たり30万tonと売り上げ成績が落ちこみ、ドイツ側のUボートの損害が10倍にもなってきた。潜水艦が敵に敗北することはクルー全員が死亡することである。ドイツ側はその敗因を最後まで掴むことができなかったのは、全滅したクルーには上層部への報告義務がなかったからである。
この連合国側の巻き返しは、大胆な作戦変更にあった。輸送船団の護衛艦の一部を分離し、遊撃隊を組織したのだった。当時のUボートが最も危険にさらされるのは、攻撃した直後に自艦の位置を知られることだ。位置を知ったらこっちのもので、遊撃隊は爆雷を投下しながら潜水艦が浮上するまで徹底的に追廻し破壊した。これは情け無用の攻撃で、上官が「もったいないからやめろ」というまで、潜水艦がバラバラになり海の中に沈んだあたりを砲撃し続けた。
1944年(昭和19年)2月、ドイツ軍は常時潜水できる潜水艦を開発した。スノーケルマストを水面に出し空気を取り入れ、炭酸ガスとなった排気は海水中に放出する方法を取り入れた。かくして、Uボートはディーゼルエンジンでも潜航可能となった。これなら、雪山遭難時に携帯電話のバッテリー切れのような心細さもあじわう事もない。スノーケル有効深度ならば、燃料の重油がなくなるまで潜航し続けられた。Uボートの逃げ足の速さに、連合国側はまたもやお手上げとなった。
スノーケルの発明でUボートの劣勢は挽回されたかに見えたが、連合国側に強力な対潜爆弾とソナーを備えた高速駆逐艦が投入された。スノーケル潜航では、6ノット(時速11Km)以上のスピードを出すと水の抵抗でスノーケル装備が破損してしまう。一方、連合国側の駆逐艦は30ノット(時速55Km)まで出せる。そのため、駆逐艦に見つかれば海底に逃げるしかない。スノーケルは使いないので電気モーター(8ノット)に切り替えて深度100mまで潜って静止している以外にない。ソナーは艦内の針を落とす音も、クシャミの音も拾い、そこに爆雷が投下される。潜水艦のクルーは、生きた心地もせず死んでいく。
さらに連合国側に、潜水艦ハンティング磁気探知機が実用化された。潜水艦は鉄でできている。鉄は磁性体の塊である。移動すれば海中の磁気の変化がおきる。それをレーダーがキャッチする。スノーケル深度では簡単にみつかってしまう。
いつの時代にも、科学は人類同士の戦争によって進歩する。そして、現代の海底を我が物顔で横行しているのが原子力潜水艦である。原子力インジンは空気中の酸素を必要としないので、いつまでも潜っているので始末が悪い。
原子力潜水艦は、原子力の技術を持つ国しか製造できないので不公平でもある。
2008年現在ではアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国のそれぞれの国だけが保有していることになっているが、そのほかにも密かに隠し持っている国はあるかもしれない。きっと、日本の海上自衛隊だって欲しがっているに違いない。
原子力潜水艦は、敵水上艦船や敵潜水艦を攻撃する攻撃型原子力潜水艦と、弾道ミサイルを搭載してミサイル発射台の役目をする弾道ミサイル型原子力潜水艦の二種類に分けられる。
後者の弾道ミサイル型潜水艦の存在は、戦略上の他国に対する核攻撃の抑止力を持っている。他国を核攻撃して瞬時に勝利を得ることはできるが、無傷で海底に隠れていた原子力潜水艦搭載の弾道ミサイルにより報復されれば、二瞬後には自国も壊滅することになるからである。これら大国は、互いに強力な核兵器を保有しているがゆえに、共倒れを恐れるあまり直接交戦を避けざるを得なかった。
かくて、自国を危険にさらすことのない代理戦争なるものが、世界の辺境の地で行われることになって久しい。小国間の戦争や内戦のおりに、敵対するそれぞれの勢力の一方に対して二つ以上の大国が武器や資金を援助し、その地域の覇権拡大をはかるのが目的である。多くの場合、どちらかの読みが外れる。
またこの反対に、小国同士が戦争を開始するにあたり、戦費や武器の貸与を必要として、自国に有利な大国を誘引するするという逆指名の代理戦争などもあったときく。一方、その激化する戦闘の同じ時間に、それぞれの援助大国の代表者は、ワイン片手に世界平和につき論ずるのである。大国、小国にかかわらず、どの国もしたたかさを内に秘めていることにかわりはない。
このような戦略をいち早く取り入れたのが、日本国のやくざ業界であった。また日本国政界にも遅まきながら波及し、大小の選挙のたびに政党間、派閥間で熾烈な地下での戦いが繰りひろげられいる。
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