幸福の黄色いラーメン
平成20年1月21日
ラーメンなるものを辞書で見ると[小麦粉に塩、カンスイなどを加えて練り、引き伸ばしたものを茹で、醤油などで味付けしたスープに浸し、焼き豚、葱、鳴門、海苔、メンマなどを添えたもの。別名「中華そば」「支那そば」ともいう]となる。実際にはラーメンの本質はこのような単純なものではなく、スープ、麺、その上に乗せる添物の味のバランスを思考し、それぞれの店がシノギを削っているといわれる。まれには、シノギも鰹節も削らない生醤油を薄めるだけのスープに麺を放り込み、客の前に「どうだ。参ったか!」といわんばかりに出す店もある。それはそれで、当たらず触らず避けて通るのがラーメン党なのである。つまり、2度と立ち寄ることは無い店で理屈を捏ねてみても無意味だからである。
私の場合、物心付いた頃から[支那そば]は最大の御馳走の一つであった。雪の舞う寒い季節に兄や姉に連れられて町に出たとき、幼児の私が食べた暖かな[支那そば]の旨さの記憶は、細胞の隅々まで浸透している。昔々に食べた支那そばは、極太のチジレ麺であった。その一本一本のチジレ部分には、鰹節や煮干風味のスープがたっぷりと絡みつき口の中に汲み上げることができる。この麺をすすり上げて口の中に運ぶ一回一回の幸福な作業が、おおいなる追憶として身体の隅々に残されているのだ。それから60年あまり経過した現在でも、昔の支那そばに出会うために折にふれラーメンを食べ歩く。
私は食べ物に関し、科学的分析を屈指し味の秘密に迫ろうとは思わない。それぞれの店が自信を持って提供してくれるラーメンを食べ、心底から旨いと思える店に出会うことが喜びなのである。他人が旨いといって度々足を運ぶ店の味が、必ずしも私の味覚に合うとは限らない。と、いうことは、私の好みの味が他人に合うとは限らないということにもなる。こと食い物に関しても、他人に無理強いはしないほうが無難なようである。
私を含めたラーメン党は、お昼どきにどの場所にいよおうが、その近くに必ず立ち寄るべき好みのラーメンを出す食堂を視野に入れて一日の行動を組み込んでいるようだ。自分の行動範囲が確定されていれば、その各方面に一つや二つの馴染みの店をつくっておかなければならないだろう。それが、自分自身に対しての最低のおもいやりだ。
[かまや食堂]
かまや食堂は、福島県須賀川市の旧市街地を東西に走る国道118号線沿いにある。詳細に話せば、須賀川警察署の北向いの、見るからに旧い作りの家屋内で営業している食堂だ。この店舗は江戸時代に建立された寺院の風格を持ち、客にドンブリ一杯の満足感を売る。客が立って待つほど混雑しているにもかかわらず、その店内は実に居心地のよい空間なのである。それぞれの客が、一つの味に拘る同志のような気持ちでいるので、思いやりがにじみでるマナーが確立されているからだろう。
この店の駐車場は、店の北側裏手にある。かまや食堂としての駐車スペースは建物裏の広場に8台分ある。それと、その広場のさらに北側の一段下がったところに5台分確保してある。おおむね満車というのが普通だが、駐車している車の持ち主は椅子の空くのを立って待つ人と、椅子に座りラーメンの茹で上がるのを待つ人と、出来たものを食べている人の3種類なので、駐車場の空くのをしばし待つ余裕のある人に適した食堂である。たまに、南向いの須賀川警察署駐車場に車を止め、国道118号を横断して店に入る人を見かけるが、商売柄多少脛にキズ持つ私は、そこには止めない。
かまや食堂の店内に入ると、いつの場合にも煮干の匂いが充満しているのがよい。入って直ぐに、口の中に溜まった唾液をさり気なく飲み込む。右の曇りガラス状に煤けた感じの素ガラス戸越しに厨房が見える。ややかすんで見える人影を眼で確かめると、さらに臨場感が増幅される。注文は「普通盛り」か「大盛り」のどちらかを、厨房に聞こえるようにいう。あまりの混雑で、自分の注文を外されるのではないかとの不安が湧くだろうが、大丈夫。注文したものは必ず自分の前に運ばれてくる。まさにラーメンの香りがあふれるドンブリはスッタフの両掌に大切に包まれて、静かにテーブルの上に置かれるのだ。
鰹節を丸ごと15本ぐらいスープ鍋に入れ、7時間30分煮込んだのではなかろうかと疑うほどの魚味醤油スープには、絶妙なバランスで中細縮れ麺が入っている。それは沈むのでもなく、浮くでもなく、この店独特の具と一緒にスープに浸っている。麺の縮れ部分がくみ上げるスープと共に麺を噛む。程よく柔らかいチャシュー2枚。メンマの横のほうれん草の静かな佇まい。充分にスープを含んだ黒い海苔は故郷の海に帰った様な落ち着きを持つ。ドンブリの縁の方で身を隠していたナルトに視線を移した。ナルトの鮮やかな渦巻き模様に、かすかな目眩を感じた。
[春こま食堂]
福島県郡山市小原田4丁目地区の旧奥州街道から、幅2,7mの細い路地奥17m東に[春こま食堂]がある。特に過激に宣伝するわけでもないのに、ラーメン通で春こまを知らない者はいない。店の前に7台分の駐車場がある。ここに駐車できるか否かにより、のこり半日の運勢にかなりの影響が認められる。駐車できないにしても、東21.56mの所に第二駐車場がある。ここも駐車できるのは6台なのだが、たいがいの場合満車である。春こまに立ち寄ろうと思って駐車場満車であきらめるようでは、その人間の底は浅い。たかがラーメンのために自分の貴重な時間を無駄にしたくないと思う方は、別の店に向かうが良かろう。しかし、ラーメンを1杯食べる時間はさほどの時間ではない。店に入っている人間はまもなく外に駆け出してくる。そして駐車場は空く。
店の中のカウンターは椅子9脚、希望者は4.5畳の座敷に座卓がある。ほとんどの場合、座敷では相席が普通だ。相客が同年輩なら年寄り同士で気兼ねは要らないのだが、若い女性だったりすると自意識過剰になるのではなどと心配の種は尽きないが、今まで若い女性との相席は一度も無い。とりこし苦労ではあるが、ある種の期待感を持つのは悪いことではない。
店内業務を仕切っているのは、表面上も実質的にも有能なこの家の若奥様である。あらゆる客の注文を間違いなしで取り次ぎ、その料理を注文主の前に手配することは飲食業では当たり前なのだそうだ。しかしこの店では、麺の茹で具合に固ゆでと普通があったり、麺の量に大盛と普通があったりする。醤油味、味噌ラーメンの区別の他に、一度口にしたら忘れられなくなる程おいしいタン麵の注文も4割がたある。それらを右から左に受け流す若奥様の技量は高度なものである。主役の座を若奥様にゆだねる姑、舅、旦那様の隠された技量も侮れない。この店のカウンターに座ると浮世のことは概ね忘れ去り、ただ音の無い無数の舌鼓が店の中に充満するのを皮膚で感じる。
切れのいい豚骨だしの醤油スープに、強い腰を持ち喉越し滑らか麺のラーメンと、じっくり煮込んだ野菜に、木耳、豚バラが適度に混ぜられた具が溢れるタン麵との、どちらを注文するかと迷ってしまうのがこの店である。この店での選択においては、ラーメン、タン麺のどちらを選んでも正解なのだから嬉しい。深刻な考えは仕事の時間にするべきで、食事の時間にするべきではない。
[大坂屋]
約、かなりの昔、会津若松と茨城県水戸を結ぶ街道を[茨城街道]と呼んだ。茨城街道は、会津藩主の参勤交代のための道筋だったと云われているが、福島県郡山市湖南町にはその街道の面影が残されている地区が数箇所ある。[三代宿]、[福良宿]、[赤津宿]で、往時の宿場町の名残を充分にとどめている。昔の面影を残す現在の福良集落は、ところどころ萱葺屋根の民家の間を早馬が駆け抜けても決して不自然ではない時代色濃い街道筋である。この宿場の中心近くで道路が鉤形に曲がったあたりに大坂屋がある。お昼時に、ここで昼飯を摂らないと3里四方に食堂もレストランも無い。こまめに捜せば、あることはあるだろうが、辺鄙で、寂れていて、現代の時空から取残された一郭だと他の方に思わせるために三里四方と表現した。どなたかが気に障ったのなら、謝る。
大坂屋店内のテーブルに座ると、ラーメン屋に入ったような気がしない。なぜかと周囲を見回すと、自分が座った椅子を含めて椅子の背もたれの背丈が高いのである。私は今だかって出席したことはないが、明治天皇御前で開かれた、御前会議会場での椅子を連想する。その椅子と対の厚い天板のテーブルを前にすると、どのような食物を注文したら良いのか心配するむきもあるだろうが、周囲を見回すとほとんどの客が江戸時代に商売を始めたのではないこと思うほどの民芸調のラーメンを食べている。
大坂屋のラーメンの味は、くどくない豚骨スープに会津の太目チジレ麺の[支那そば]味である。春夏秋冬いつ食べてもおいしく食べられるのは、厨房の御主人が季節により微妙に味をコントロールしているのではないかと疑りたくなる。疑り深い眼で厨房を覗くと、体格の良い主人から強く覗き返された。それ以後、何事によらずに疑ることをしない私となった。
[仙台屋]
歴史上に実在した世界3大美女というのがある。世界的に云われるのが、クレオパトラ、楊貴妃、ヘレネである。最後のヘレネはギリシャ神話の[トロヤ戦争]の原因となったスパルタ王の后である。それはそれとして、世界三大美人の人選は、それぞれの国により3人の美人の配列はかなり違うものになる。当然のことだが、中国や北朝鮮が認める世界3大美人は、3人とも自国歴史上の女性か歴代総書記長の奥様である。日本人が認める3大美人はクレオパトラ、楊貴妃、そして小野小町で、自国の女性を最後に持ってきたのは、国民的な奥ゆかしさからだ。
クレオパトラは紀元前51年にエジプト王となった女性である。彼女は、怒濤の進撃を繰り広げるローマ軍に対抗するために先陣に立ち、ローマ武将に対し己の身体を投げ出すことによりエジプト国の自立を勝ち取った女性である。そんな彼女も、紀元前30年の春、毒蛇の入った篭に右か左かのどちらかの手を差し込み、中にいる蛇の眼を指で挑発することにより自殺した。相手が誰だろうが、故意に眼に指を入れられたら、私でも入替えたばかりの部分入歯を使って腕ごと噛み砕いてやる。
楊貴妃は719年に中国四川省に生まれ、16歳で玄宗皇帝の息子と結婚したが、妻を亡くした義父の玄宗が楊貴妃の美貌に関心寄せた。息子の嫁を我が物にすることは何かと世間体が悪く、息子と別れさせてからの一時期を尼僧にさせて周囲の目をたぶらかした後、楊貴妃22歳のときに結婚する。玄宗皇帝56歳のときである。楊貴妃のその後は贅沢の限りを尽くし、そのことばかりではなかったろうが国そのものが傾くことになる。いつの時代にも野党は存在した。玄宗皇帝の不甲斐なさにシャジを投げた腹心の者が反乱を起こし、この反乱軍の要求により楊貴妃は玄宗皇帝の手により殺された。まったく、勿体無い話である。
小野小町は809年、現在の秋田県雄勝町の小野郷に生まれ、13歳で都にでて風雅を学び、平安時代を代表する六歌仙の一人となった絶世の美女である。福島県田村郡小野町にも小野小町の伝説がある。ここにも[小町湯]という温泉などがあり、美人になる湯として持てはやされているが、近隣のおば様連中と顔をあわせる機会のあった後は、その効能に疑問を持つようになった。世界3大美女のなかで小野の小町だけが殺されもせず、自殺もしなかった。非情に苦しいことだが、ここまでが、福島県田村郡小野町の一軒のラーメン屋を語るための枕の部分である。
阿武隈山系の分水嶺にある福島県田村郡小野町に、名物食堂[仙台屋]がある。店は100年以上続く老舗で、今の御主人が仙台屋4代目となる。100年を4代で継承した店だから25年間が一代かと思われる向きもあるかもしれないが、割り算が当てはまる問題ではない。親子そして孫と続く一家としては、時間が重なって進行する部分が出てくる。先代が80歳までがんばれば、先代が20歳のときに生れた2代目は60歳から始まり、その2代目の持病の神経痛が悪化した2年後に、3代目としての40歳の孫に商売を任せるようなことにもなるわけである。
仙台屋食堂のラーメンは、野菜の甘みと豚骨のこくが程よく調和したスープに、滑らかな手打ち麺がドンブリの縁からこぼれるほど盛られて出てくる。あまりの盛りにスープがテーブルにこぼれるので、気取った若者もこの店のテーブルには肘を着きポーズを取ることはない。ドンブリへのラーメンの盛り加減には、初めての人なら誰でもがシッカリト驚く。女性のほとんどは食べきれなく麺とスープを残す。残さないでスープまで飲み干す女性もたまにはいるが、厨房の人も他のお客も軽蔑や批判の篭った視線を送ったりはしない。むしろ、尊敬に似た思いが店の中に広がる。
[三角屋]
福島県会津若松市の歴史は古い。いたるところにT字路のある城下町には、周辺地域の診療所で手に負えぬ病気にかかったとき担ぎ込まれる[武田病院]がある。今は亡き母がかなり昔、胆石で武田病院に入院した。盲腸になった義兄はこの病院に入院し、必要以上の大きな傷跡をつくった。今は無き別の義兄も、高血圧の薬を一月に一度ずつこの病院で処方してもらった。交通事故で怪我をした甥も、この病院に入院し幸運にも命を取り留めた。会津人のほとんどが武田病院に入院か通院の経験を持つ。武田病院には周辺市町村の全人口の半分が常時入院している。後の半分の人もそれぞれの知人に1カートンのヤクルトを届けるために1週間に1度の割合で見舞いに行く場所が武田病院である。
武田病院の北側の道を西の突き当りまで行くと、信号が必ず黄色になり、通過する隙を見せず即時に赤になる地点がある。この信号待ちをしたとき右に見える建物が三角屋である。このT字路を右折し直ぐの信号をまた右折し、もとの道に戻るとその内側に三角形ができ、その三角形の敷地に三角屋食堂はある。三角屋の創業は大正時代だと聞く。店の構えは気の遠くなるほど古いが、ここで食べるからこそ会津手打ちラーメンなのだ。麺にチジレは少ないが、麺の太さ長短が一本一本異なることなどをドンブリの中で確認しながら食べていると、遠い昔に逝った母を無性にこいしくなる。在りし日に彼女が打った不揃い寸法の蕎麦が思い出されたからだ。
多数の日本人が愛するラーメンの歴史は不明の部分が多い。別名[支那そば]と呼ばれるので中華料理の一種かというと、中国にはそのようなものは無いという。どうやら、日本そばに対して、明治の中ごろに「中国風そば」として日本人が発明したものらしい。最初は午前10時や午後3時ころのオヤツ程度の食品が、改良に改良を重ねて現在のように洗練されてきたもののようである。
難しいことはともかくとして、さっきボリュームある食事をしたばかりなのに、行き付けのラーメン屋の暖簾を見ると新たな食欲が復活する。スーパーのカップ麺売場に並ぶ種類の多さなどから、大和民族によるラーメンという食物の発明は、電気の発明、自動車の発明に匹敵するのではないかなどと考えた。ただし、私はこの考えを誰にも話すつもりはない。
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